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幸福の尺度

20240730

不幸かと言えば、不幸じゃない
幸福かと言えば、幸福じゃない
世界は白黒じゃない、だいたい、グレー

不幸じゃないことを、幸福とする
不幸じゃなければ、幸福としてみる
不幸を黒として、グレーと白は幸福とする

結局、私たちは、不幸か、幸福かは、他人との比較によって、決定付ける

飢えてご飯を食べられない世界を見れば幸福だし、金持ちを見れば不幸だし、誰かを見て、その差分で、不幸か、幸福かを、判断しているに過ぎない

曖昧なのだ、その基準そのものが

じゃあ、不幸を定義して、それに当てはまらないなら、幸福としよう

衣食住が満たされているか?
着るものがあって、食べるものに困らず、屋根があるところに住める

人の最低限の暮らしとして、それが満たされていることを、幸福とするか?

否、
病気やケガをしていれば、上記を満たしたとしても、日常生活に支障をきたすかもしれない

仕事がなければ、安定した暮らしができないかもしれない
仕事があっても、仕事が辛ければ、平日がしんどいかもしれない
仕事があっても、給与が安ければ、日常が大変かもしれない

家族がなければ、一人ぼっちで寂しいかもしれない
家族がいれば、家計が火の車かもしれない

健康、仕事 ( 金 ) 、家族 ( 子ども ) にまつわるなんらかが、私たちの悩みのほとんどすべてである
その悩みがあれば、不幸とすれば、悩みがない人はほとんどいないことになる

健康で、仕事があり経済的にも困るほどではなく、家族がいることを幸福とすれば、ほとんどの人は不幸になってしまう

幸福とは、難しいものなのか?

そもそも、健康、仕事、家族のすべてが満たされ、悩みがない人など、いるのだろうか?

幸福とは相対性であるから、すべてが満たされないと幸福でないとすれば、世界は不幸に覆われてしまう

そんな悲観的な世界だろうか

仏陀は、この世界は、辛苦であるとしたが、
仏陀が生きた時代と、今の時代は違う
そもそも、「日本では」、食べることに困ることはほとんどない、健康を害すれば保険で安く病院へ行ける、仕事がなくとも生活は保護される
仏陀の時代からすれば、天国のような世界だろう

「日本では」という限定をした、
世界は、食べることに困る人がいる、健康を害しても病院に行けない人がいる、仕事がなくて生活が成り立たない人がいる

時代と、生きる場所によっても、不幸は異なる

今の時代の日本に生まれたということだけでも、幸福とも言える

幸福も、不幸も、相対性でしかない
どの時代、どの世界、どの人と比べて、幸か不幸かを見ているに過ぎない

多少の悩みは誰にでもあれど、人類史と世界情勢を見れば、こんなに平和で安全でご飯が美味しく人が優しい国はないのだから、現代日本に生きているだけで、私たちは、不幸ではないとは、言いきれる

不幸ではないとすれば、幸福なのだ
不幸だと思うから、不幸なのだ
幸福だと思えば、幸福なのだ
不幸だと思えば、不幸を探す
幸福だと思えば、幸福を探す
ないものを探せば、不幸になる
あるものを確認すれば、幸福になる

ないものではなく、あるものに目を向ける
金がないのではなく、健康がある
休みがないのではなく、仕事がある
安く美味しい食べ物がある









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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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