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料理の四面体

20250106

私が提示した“料理の四面体”は世界のあらゆる料理に共通する単純で明快な原理を指摘したものだ。私は、料理の原理は簡単だ、といったのであって、料理をつくることが簡単だといっているわけではない。

料理の一般原理に介入してくる基本要素は四である
(1)火
(2)空気
(3)水
(4)油

料理というプロセスは、これら四つの要素がたがいに複雑に絡みあって演じるドラマであるといえる。
まず火だが、火がなくてはそもそも料理が存立しないというくらいのもので、必要不可欠の要素である。ただし、火自身は他の三要素にあまねく平等に徳を施す元締めであって、火そのものが他の要素から独立して強くなったり弱くなったりしても、それだけでひとつの料理を独創することはない、と考えることにしよう。一見すると火そのものの強弱によってひとつの牛肉の塊りがビフテキとローストビーフと牛の干し肉になる、というようにも見えるが、実はその間に介在する空気の量によって異なる結果が与えられたのだ、と考えるほうが射程が広いからだ。介在する空気がごく少なければグリル(近い直火焼き)、介在する空気の量が多ければロースト(遠い直火焼き)、それがもっともっと多ければ干物になるし、空気の質が少し異なればくんせいにもなる。
一次的な食品は、動物か植物かである(だろう)から、必ず水を含んでいる。だからそれをそのままなにかに包んで水分が逃げないようにして火を加えれば、蒸し焼きができる。
水分が多くなれば、それは液体をかたちづくるだろう。その液体の量がふえていけば、蒸し焼きから蒸し煮、蒸し煮から煮もの(茹でもの)へと料理のかたちが変化していく。その水の中に、さまざまの種類の別の液体(酢とか醤油とかスープとか)を加えたり、液体に溶ける固体を加えれば、料理の味もまた異なっていくし、できあがりのようすも違ったものになる。
同じ液体でも、水と油は、水と油、といわれるほどにまったく性質が異なる。性質が異なったものが育てた料理は性質が異なるから、水と油は同じ液体ではあるが異なった独立要素と考えよう。油が少なければ煎りものになり、ふえていくにしたがって、炒めもの、揚げものになる。このように、火という中心要素の営みを受けてそれに対応する、空気、水、油という三要素は、その量が変化していく過程で、さまざまに姿の異なる料理を生み出していく。

一方で、そうしたドラマを下からガッチリと支えるものとして、”料理以前”に登場して、しかも火と同じく必要不可な、ナマものの世界、がある。
以上のような認識から、料理の一般的原理を一目瞭然のかたちに示すために、私はここに、
「料理の四面体」
という基本モデルを呈示する。

四つの点を持った四面体。底面は三角形を形成している。その三角形の三つの頂点をそれぞれ、空気、水、油、と名づけ、そのひとつひとつと火とを結ぶ線が、それぞれ、

「火に空気の働きが介在してできる料理」
「火に水の働きが介在してできる料理」
「火に油の働きが介在してできる料理」
をあらわしている。
わかりやすくいえば、順に、
「焼きものライン」
「煮ものライン」
「揚げもの(炒めもの)ライン」
である。

それぞれのラインにおいて、火の頂点に近ければ近いほど、三要素の介在の度合は少ない。つまり、空気のラインで火の頂点にもっとも近いところは炎が肉を直接なめるような直火焼きであり、水のラインで火の頂点にもっとも近いところはほとんど水蒸気のないような蒸し焼きであり、油のラインのそれはハケでサッと鍋に油を引いたか引かないかといった煎りものである。これらの三種の料理は、そこからさらに火に近づけると焦げはじめ、結局は炎に包まれて同じものになってしまう。
逆に、それぞれのラインで、火の頂点から遠ざかって下へ下がっていくにつれ、それぞれの要素の介在度は増し、同時に火の直接的な影響はしだいに少なくなって、ついに底面に達すると同時に火の影響は途絶え、そこからは冷たいナマものの世界が広がってゆく。
これが、料理の四面体の読みとりかたである。
そしてこの料理の四面体こそが、世界にかつて存在した、いま存在する、これから存在するであろう、すべての料理を包括する一般的原理を、目に見えるかたちで表現したモデルなのである。 















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湯浅淳一
あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。

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