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日記

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個人的な日記です。
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フットワークの軽さとパートナーの不在

8月の24日から27日日までの4日間、自分の活動量がよくわからないことになってるな、と振り返って思う。 24日 保育語りbar イベント参加 25日 パレッタブル イベント主催→ぐうたら村セミナー組を誘ってお話→写真部→終電逃す 26日 始発の時間までバーで過ごす 27日 まいみちゃんのイベント手伝い→カフェで4日間のまとめ作業 夏休2日を土日に重ねたので、4連休となっていた。土日のイベントは元々決めていた予定だけれど、このイベントで“スイッチが入った(とよく表現するのだ

ルーツを辿って

僕のルーツは、東北にある。 生まれは岩手県一関市。県最南端に位置していて、合併により東京23区がまるごと2つ入るほどの総面積。生まれ育ったのはその旧市街地で、古く小さな商店街だった。以前は僕の家でも店をやっていたので、未だに近所では屋号で呼ばれる。 あんこ屋の紅屋さん。曾祖父は和菓子職人だった。 岩手県は主に南部藩と伊達藩に分かれるのだけど、僕の地元はその間に残る田村藩。坂上田村麻呂の末裔が治めた土地らしい。家のすぐ近くには川が流れ、少し歩けば城跡の残る小さな山。もっぱら

昼間から白い月が空にくっきり浮かんでいて、夜になればらんらんと輝いていて。 写真に収めるのが、かえってもったいないような。今日はそういう月でした。

類推という思考法は類推され得るのか。

グローバル化や科学技術の発達で、アイデンティティを失う人たち。 他を否定することで、我を築き直そうとする人たち。 情報に侵食され、我を失い、しかし気付かず、ありのままを信じる人たち。 情報は与えられるものではない。自ら得るものである。 あしたは散歩に出かけよう。

絶対的とか、強いとか、そういうものに寄りかからない一年にしようと思っています。

ムスリムが一日五回の礼拝やラマダーン月に断食をするのを「なぜそんなに自分の時間を浪費するの」とネガティブな見方をするのに、なぜ自分が朝早く満員電車で通勤し、サービス残業で夜遅くまで会社に残るのかを顧みない。 僕は否定したいんじゃない。貴方の人生について、考えるきっかけを与えたい。

身の回りに花がある生活がしたい。花に水を上げるときの、涼やかな水音、土の色が濃くなっていく様、葉の上を滑る水滴と、より鮮やかになる花弁が、僕の心の厚い衣を剥ぎとって裸にしてくれる気がする。

子育て中のお父さんお母さんや、保育士さん、幼稚園の先生の書く文が美しいのは、子どもと触れることで、日常の些細なことすべてに意味があるのを、あらためて気付けるからなのかな。道端の石ころや吐く息の白さのすべてがとっても美しい。

僕が保育士になりたいのは、ホールデン・コールフィールドになりたいと言うのと、もしかしたら同じなのかもしれない。

『アウトサイダー』の続きを読んでいたら、ドストエフスキーの作品を使ってアウトサイダー問題をあつかうために、特に重要な作品は『地下生活者の手記』・『罪と罰』・『カラマーゾフの兄弟』である、と書いてあった。ちょうど僕が持っているのもこの3冊だ。 また人生の伏線を回収してしまった……!

今後も共同体社会が失われていくとしたら、当然、保育はとても重要になる。 ミーム学が、保育にアプローチするとしたら、どういうものなのか。 それは、保育士が子どもたちへ “「主体的にミームを取捨選択し、自身をプログラムする」というミーム” を与えることだと、今のところは考えています。

ミームを巧みに拡散するマインド・ウイルスとしての芸術。 いつか僕はそれを生み出したい。