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(本)知的生活の方法

書籍を読んで論文(文書)としてアウトプットする生活をする・したい全ての人に捧ぐバイブル的1冊。
昨今、いろいろな知的生産に関する書籍としてノウハウ本が多数出版されています。その源流と言っても良いかと思います。

1976年の初版なのでもう40年が経過しようとしている”古典”のため、テクニック関連や情報の中には古いものはあるものの、その根底を流れる考え方や態度は今も通ずる部分が多数あり、自分のような30台半ばで論文の執筆にもがき苦しんでる人々にとっては間違いなく有益です。

その中でも、特に第1、2章のとるべき態度について、抜粋してご紹介します。

よくわからないのにわかったふりをする子供は進歩が止まる。「知的正直」たれ。

簡単にわからない、こと。「ぞくぞくするほどわからなければ、わからないのだ」

本当に面白いと思わないものを、面白いなどというふりをしてはいけないのだ。他人に対しても、自分に対しても。特に自己を偽ってはならない。自己の実感を偽ることは、向上の放棄に他ならないのだから。

徹底した精読は表現の微細な相違や文章の質の微妙な変化にも鋭敏に反応する感覚、あるいは趣味を作るのである。漠然と次から次へと本を読むだけでは得られぬものが得られるのだ。(繰り返し読むことの効用)

どれも、簡潔な文書で書かれていて、わからない箇所はないかと思います。でも、書かれていることを本当に実行できている人はどの程度いるのでしょうか。
お恥ずかしながら、自分を振り返ってみると、できてないこと多々・・・

時間がないからという理由で流し読みをし、わかったふりをしてしまう。で、他人に聞かれたり説明しようとすると、全然わかっていないことに気づく。
読みたい本を次々と購入するのは良いけど、1冊を咀嚼したり繰り返し読むことなく、次から次へと新しいものに飛びついてしまう。
面白い、と思わなくても一種の読んだというアリバイづくりのために、読了して「読み終わった!」と思い込んでしまう・・・・

そんなことだらけ(恥)
そんな姿勢を見直さねば、と思い知らされた一冊でした。とほほ。


仙台も土日の気温の高さもあり、一気に桜の開花が進みほぼ満開に近い状態になってきました。朝の通勤も少し遠回りして桜を見てから出勤。
ほんの数分ですが、今の時期だけの贅沢な時間を味わえますね。
コロナがなかったら、花見だ場所取りだ、なんて言ってたんでしょうか。
感染拡大を防ぐためというはもちろん理解ですが、こういう状況が後どれくらい続くのか、そして、継続することで廃れてしまう文化や風習ももしかしたらあるのでは?と思ってしまう今日この頃でございました。

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