【創作大賞2024中間選考通過記念】卵アレルギーbabyは海を渡ることができたのか?~子育ては闘いなのか、癒しなのか~続編
卵アレルギーbabyは、果たしてニューヨークへ行けるのか?
生後4ヵ月で
母乳に含まれる微量の卵に
アレルギー反応を起こし
ほっぺたから血を出していた赤ちゃん。
わが長男。
※【note創作大賞2024中間選考通過】の「子育ては闘いなのか、癒しなのか~卵との闘いについて~」は、こちらからお読みください。↓
やっぱり、試練
小学校の間、卵を含む給食に“似せて”
作ったおかずを持たせていた長男は、
私立の中高一貫校に入学した。
中学からは、給食がないので
独自のお弁当を6年間持参。
お弁当づくりを6年間と言うと
「大変だね」と言ってもらえる
ことが多いけれども、
心の中では
ホッとしていた。
これでやっと給食の献立にしばられず
自由なお弁当を作って持たせることが
できるようになったのだ。
けれども、そんな解放感を味わっていた
母の気持ちは、ある時を境に
不安の崖にたたずむこととなった。
修学旅行。
公立校と違って、行き先は
京都や奈良ではなく
ニューヨーク!
&カナダ!
と、派手な行き先である。
行き先が派手なだけあって
中学と高校、合わせて1回きりだ。
高校1年生の時に、1回だけ
ゴージャスな海外修学旅行。
青春の光が1点に集中するような
まばゆい旅になるに違いない。
私は、考え込んだ。
金策、ではない。
いや、少しはあるが…。
これまでも海外旅行には
幾度か連れて行った。
ただ、その海外は
つねに親の庇護の下
卵は避けて食事のメニューを
選ぶことができていた。
今度は、学校の団体行動で
みな一緒のメニューであろう。
ニューヨークシティを
男子高校生数人で歩くとなれば
やっぱ定番は、ハンバーガーではないだろうか?
ハンバーグには、卵が入っていることが
多いのではないだろうか?
16歳の華やかな旅立ちへと向かう
みんなの高揚した一体感が
青春の光だとすれば
人と共有できない卵アレルギーは
青春の影だ。
どうしよう…?
小児科
悩んだ末、アレルギーに詳しい小児科
の門を親子でたたいた。
事情を話し、もし少しでも卵を
食べられるようになっていれば嬉しいが、
やはり無理であれば
“エピペン”という
アナフィラキーショックを起こした際に
太ももにぶっ刺すという噂の注射を
処方して頂けないか、と希望を伝えた。
すると、お医者さんの指示は
ユニークだった。
「お母さん、
卵焼きを作って
タッパーに入れて
持って来て下さい」
「は、はあ…。
卵焼き…ですか」
卵焼き
で、卵焼きを卵1個で作って
タッパーに入れて病院に持って行った。
6切れくらいに切って。
お医者さんにタッパーごと渡すと
初老の先生はやさしく、箸で
卵焼きをさらにもう少し細かく切った。
お医者さんは
「あ~ん」と言って
一切れ、長男の口に持って行った。
長男は、おっかなびっくり
口を差し出し、卵焼きを飲み込んだ。
飲み込むときには
まるで泥団子を飲み込むように
顔をしかめて、喉が気持ち悪いと訴えた。
お医者さんは
「食道の粘膜が、アレルギー反応を起こして
少しかゆいだろうけどね~」
と、少し気の毒そうな顔をした。
そして1時間、放置された。
いや、待合室で待ってて下さい、と
言われて、ただ時が過ぎるのを待った。
1時間後に、診察室に行くと
またお医者さんが
「あ~ん」と言って
さらに一切れ食べさせてくれた。
1時間ごと、ほぼ丸一日かけて
長男は、卵1個をついに完食した。
死ななかった。
お医者さんの判断は
「しっかり加熱された卵は
食べても大丈夫」
という結論だった。
これで、ニューヨークに行ける。
エピペンも処方されなかった。
帰り道、長男に
「卵、食べれるようになったんだね!」
と、喜びとともに話すと、
「いや~。喉が…」と
思い切り顔をしかめて
「本当に具合悪いんだよ」
と言った。
長男の顔には、苦虫をかみつぶしたような
諦めの表情が浮かんでいた。
加熱された卵は、食べても死なない
ということが証明された。
だから、完全除去の必要まではない、
ということになる。
けれども、それはやっぱり本人の苦しみを
一定程度ともなうことだったのだ。
ニューヨーク! そしてカナダ
長男の苦虫はともかくとして
男子高校生の一団は
ニューヨークとカナダ
12日間の修学旅行に旅立ち
そして帰って来た。
ナイアガラの滝を見たり
カナダでは語学学校にも、寮に宿泊して
通学したそうだ。
食事では、長男は自分で卵を避け
特別に困ることはなかったようだった。
そして――
生徒2人ずつのグループとなり
ホームステイまで体験してきたのだが
ホストファザーやホストマザーが
活発なお宅の場合は、あちこち色んな所に
連れて行ってもらえていた、との話だった。
いろいろと連れて行ってもらえたグループは
皆に羨ましがられていたようだ。
長男のグループは、ホストファザーが障がい
のある高齢者で、いろんなヘルパーさんが
入れ替わり立ち替わり、一日に何度も
世話をしに来ていたそうだ。
じゃあ、どこかに連れて行ってもらえる
ような状況ではなかったんだね、
私がそう途中まで言いかけたのを遮って
長男は
「俺は、あの家で良かったと思ってる」
と言った。
「お爺さんは、俺が手土産に持って行った
富士山のハンカチと入浴剤を、
涙を流して喜んだんだ。
本当に本当に、嬉しそうだったんだ」
と、少し照れ笑いしながら
お爺さんが泣いて感激する様子を
オーバーなジェスチャーで
真似してみせた。
長男は、卵アレルギーに
完全に打ち勝った訳ではないけれど
1人でも海外の食事には困らない
程度には、卵との付き合い方を覚えた。
そして海を渡って、
一期一会の大切な出会いを
学んできたのだった。
★卵アレルギーの長男と、生卵を平気で食べられる次男。
男の子2人を育てたドジママの東大子育てについては、こちらから↓
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