見出し画像

制限された表現形式


昨年末からnoteのつぶやき(140字)で入力し、それを3章に分けた形式でブリコラージュというタイトルをつけて投稿してきた。

タイトルのみからはどのような投稿内容かわからないという点はあるが、表現者としての私の内側では、混沌の世界からふと浮かんだものがつぶやきという形式の余白に流れこんでいくという感じがある。

俳句という形式も言いたいことが言えない文学と言われており、短い形式の中で切れ、調べがあり、日本文化で育まれてきた季語とのコラボレーションでイメージが立ち上がる。

つぶやきの余白に言葉を流し込む作業は、目が覚めて、3年日記の5行のマス目に夢の記憶を流し込む作業と共通する要素がある。
私にとっては夢日記も占いではなく、無意識な混沌とした世界から流れてくるものを言葉にする。そしてそれを意識する作業の積み重ね。

毎日、夢日記に夢の記憶を写す作業、さらにnoteのつぶやきという形式の余白に言葉を流し込む作業、さらにはインスタグラムに1枚の画像と即興で1句を流し込む作業。
いずれも1つの作業として私の暮らしの中での小さな習慣として定着しつつある。



寒月やクロノグラフの電波時計
はつ夢に忘れたきことありにけり
眉剃ったことを叱られ春隣

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集