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直観に従ふ


休日の朝にふとバッハを聴こうと思い、以前にも聴いたことがあるカザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲を流してみた。
しばらく何もせずただ聴いていると実に心地よい感じに包まれた。
バッハは何度か聴いてきたけど、今朝ほど自分の身体に入ってきた感覚ははじめてで驚いた。

Bach: Cello Suite No. 1, Casals (1938) バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 カザルス (youtube.com)

奇しくも図書館で借りた数冊の本の一冊にやはりバッハ無伴奏チェロ組曲が
登場してきた。物語そのものは私にとってはあまりインパクトはなく流し読みで終わってしまったが。


今迄、日記は三日坊主で終わることを繰り返してきたが、一年半前からはじめた夢日記は継続している中、次男がはじめた三年日記に刺激を受け、ふと今更であるが私も3年日記をはじめてみようと思い立った。
私は太陽牡牛座で、ものの質感、肌触り、色合いにこだわりがあるので、書店で並べられている3年日記には惹かれるものがなく、色々、ネット等で探して手帳サイズの3年ダイヤリーを求めた。1日分の記入欄はわずかであるが、夢のキーワード、毎朝引く2枚のタロットカード、ホロスコープのトピックス、健康状態等を主にキーワードで残していこうと思った。
不思議なもので、その日の星読み仲間の投稿で3年日記のことが書かれており、シンクロニシティ的な連動性も感じた。


図書館には毎週通い、数冊を借りるが、その際も背表紙のタイトルと著者、そしてぱらぱらと頁をめくった際に何かぴんとくる本を借りるようにしている。最初からこの本を借りたいというものがないので、本を探すのにかなり時間を要してしまう。
多くの人においては検索システムでキーワードや著者名で検索した方が合理的と思われることだろう。
電子辞書ではなく、アナログの辞書で頁をめくる過程で、予測もしなかった言葉や内容に目が止まって新たな発見をするのと同じように、時間をかけて歩き、本を手にとり頁をめくる中で著者のメッセージを感じていく作業を通して新たな出会いが生まれる。

私は友人は少なく、人との関わりは少ないが、本を通して未知な方の人生に触れた経験は数知れない。そしてそのことを通して気がつかされたことは、私においては大きな財産でもある。

私は仕事の責任が減り、日常の中で右脳を使うことが大幅に増えた。
明確な根拠や計画性にもとづく判断とはほど遠い、瞬間のひらめき、直観、偶然的(必然的)のエネルギーを大切にすることで内側の豊かさが育まれていく予感がしている。




無伴奏チェロはバッハや秋の風





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