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【山田玲司】女性嫌悪を生み出したA級戦犯とは?【ジャパニーズ・ミソジニー】


みなさん、わたしのnoteをご覧いただきまして、ありがとうございます😀

漫画家の山田玲司さんの「男女論」「恋愛論」は本当に面白くて痛快。

彼は、ぼくとほぼ同世代で、同時期に大学生やってて、ともにサブカル好きというせいもあってか視点がかなり近い。

今回は、日本の男が結婚どころか、恋愛すらしなくなったという話。

そこで、彼は1970年代以降の日本の文化、サブカルチャーをざっくり振り返る。

まず、冒頭ではアメリカ映画「セックス・アンド・シティ」を述べる。

アメリカの肉食系の女に対抗するために、アメリカ男はマッチョ化せざるを得なかったと分析する。

これは白人文化とアジア人文化の違いだから、昔からよくある議論。

ここからは日本特有の恋愛観へと移行していきます。

要点を解説していこうと思います。

夏目漱石の「虞美人草」1907年 朝日新聞での連載小説

元の虞美人草の意味とは、紀元前の中国。
秦崩壊後の楚漢戦争で、垓下の戦いで漢の劉邦に敗れた楚の項羽が愛人の虞美人(虞姫)と共に死に、虞美人の死んだ土地にひなげしの花が咲いたという。それが虞美人草と呼ばれた逸話に由来しています。

「虞美人草」のあらすじ

外交官志望で行動的な宗近一は、哲学的な思索にふける甲野欽吾と性格は違えど、仲のいい友達だった。宗近は甲野の異母妹である藤尾と婚約関係にあったが、それは亡き父たちが決めたことで、藤尾の心は英語の家庭教師である秀才・小野清三にあった。

とはいえ、その小野にも、京都での苦学時代の自分を援助してくれた恩人・井上孤堂の娘・小夜子という婚約者がいた。

美しいが強い自我を持った女・藤尾は、甲野家の財産を狙う母と結託し、小野を自分のものにしようと行動を起こす。

若者たちの想いは錯綜し、彼らを上野の東京勧業博覧会における大団円を経て、思わぬ悲劇に導いていく。

<参考文献:エンサイクロペディア夏目漱石より>

夏目漱石の処女作としての本作品

大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才小野。

彼の心は、傲慢で虚栄心の強い美しい女性藤尾と、古風でもの静かな恩賜の娘小夜子との間で激しく揺れ動く。

彼は、貧しさから抜け出すために、いったんは小夜子との縁談を断るが……。

やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。

東京帝国大学の講師をやめて朝日新聞に入社し、職業作家になる道を選んだ夏目漱石の最初の作品。

※引用元:新潮社

庵野秀明監督が「エヴァンゲリオンを作った理由」


庵野さん曰く、「寂しかったから・・・・・・」

「山口百恵と松田聖子のアイドル政権交代」


家庭に入り、専業主婦となった山口百恵。

対して、結婚しても、子供が生まれても仕事を続けていく松田聖子。
ママドルという言葉が流行りました。

ぼくは、この松田聖子さんが日本人女性に与えた影響はとてつもなく大きいと考えています。
自立して、大金を稼ぎ、男を袖で振るような女性。

神田正輝さんにせよ、以降の夫もみな聖子さんに振り回されていて、完全に主導権を握られている。
お金を亭主よりも持っている彼女には頭が一切上がらない。

愛人とささやかれていた、ジェフ・ニコルスや、アラン・リードといった碧眼の美青年たちですら、聖子さんにバッサリと斬り捨てられている。
彼女は、それまでの世界的女性スターのような態度や行動に出た。
エリザベス・テイラーとかですね。他にもいますけれども。

実に画期的で肉食な恋愛と結婚を日本人女性として実現してしまった。
松田聖子さんに憧れて芸能界に入ってしまったり、起業家として成功している女性たちの事例には枚挙にいとまがないです。

少なくともぼくがこれまでにかかわった女性経営者のほぼすべてが聖子さんを熱く語っている。

これは隠しようもないことですし、彼女が男を骨抜きにして、女性の地位を爆上げしていることには間違いない。

男にとっては、とんでもない「A級戦犯」と言えるでしょう。

見た目は女。中身はやり手の男。

それが松田聖子と言う稀代のアイドルであり、昭和が産み落とした、女性革命家でもあります。

中森明菜さんは、そんな聖子さんと常に対比されていましたが、この人は、ただただ弱い女性で、歌手としては超一流ですが、恋愛や結婚ともなると、凡人以下の能力値。その出自からして問題視されていた時期もありますが、差別になるので、ここで言及することは避けておきます。

第3の女、キョンキョン。小泉今日子と秋元康


そんな「聖子・明菜バトル」の渦中から生れ出たのが、このキョンキョンこと小泉今日子。中野や裏原系サブカル色の強い彼女はさまざまな層のファンを獲得していきましたね。

本人も、そんな立ち位置がひどくお気に入りで、

「おいしいポジションだった」と述懐していました。

アイドルという武器を活かして、思う存分に、やりたいように振る舞う。

「なんてったってアイドル」という開き直りの見事さ。


作詞はもちろん、あの秋元康さん。

彼は確か、同時期に、おニャン子クラブ、少女隊、本田美奈子、とんねるず、稲垣潤一などの作詞も手掛けていましたっけ。

アイドルで仕掛けて、日本を大いに低俗化させた張本人。
彼もまた、特大級のA級戦犯。

恋愛弱者男性をカモにして、搾取しまくった、トンデモない人ですね。

さらに、彼は、それまで「アレをする」「ナニをする」と言っていた隠語、「セックスする」という言葉を「エッチをする」と言語化させて、それを定着化させた。

1985年。JKに「エッチをしたい」と言わせた、これまたトンデモ曲。

「セーラー服を脱がさないで」

https://youtu.be/Php4TCK85D0


令和の今でも女性の多くは「エッチをする」と言う。

近年では「えち」「えちえち」などと多少の変化は見られるものの、
「変態」の頭文字を指す、名詞の「H」を動詞に変化させて、日常用語にした、秋元康のコトバ作りには敬服してしまいます。
(元祖は諸説あり。秋元さんではないですが、世間に広めたという点で)

80年代以降の彼のコンセプトや企画力、コンテンツの大量生産。
そして、その宣伝効果は、もはやプロパガンダの領域を超えてしまったということになるのでしょうか。

「セックスをする」→罪悪感を伴う響き。

「エッチをする」→全く罪悪感なし。むしろ、楽しんでいるイメージ。

援助交際が、パパ活と呼ばれるようになって久しいですが、悪しき習慣もまた、よりライトになり、ソフトになり、カジュアル化したということでしょう。

これによって、

女性は「性の主導権をも完全に掌握した」とも見て取れます。


とはいえ、ぼくは聖子さんとキョンキョン、お二人と仕事で絡んだし、AKBの握手会にも2度行っている。

おニャン子の河合その子さんは自分の大学に来て、チャッカリ観てるし、稲垣潤一さんには、仕事で、ライブでのステージ上で、ボトルワインを彼のお誕生日に渡す役目もしました。3人とも千葉文化会館でのことでした。

そんな秋元さんは作詞家、いや、策士家として、大変好きですけどね。

昔も今もそれは変わらない。

「♪デートに誘われて、バージンじゃつまらない」


「♪週刊誌みたいなエッチをしたいけど」

そして、1990年代には、かのSPEEDを手掛けた、伊秩弘将さんが、コギャル文化の拡散化を察知し、deepsを結成させてデビュー。

彼女たちのセカンドシングル「ハピネス」では、

これまた、JKに、

「まったりラブホで❤」


と、歌わせていたりします。

彼女たちは、渋谷センター街にたむろする、ガングロギャルの愛読していた雑誌eggから誕生したグループ。

マルキュー(渋谷109)では、エゴイストや、最近復活した、セシル・マクビーのカリスマ店員さんたちが、あがめられていた時代。

誰もがあの渋谷というか、不倫カップルや若いワケありカップルなどでひしめきあう、円山町のラブホ街をイメージしたことでしょう。


「ミソジニー・ハードコア・パンクソングの源流」ザ・スターリン 遊ぶ女は嫌いだ!!


ザ・スターリンで「FIFTEEN  15歳」 アルバム「虫」収録。
1983年作品。オリコンチャート最高位2位。

作詞・遠藤ミチロウ 作曲・タム

(歌詞)

遊びたい
遊ぶ女は嫌いだ

ラフィン・ノーズの「I  Can't  Trust  A  Women」



ボーカルのチャーミー(小山ユウ)のこの曲を書いたキッカケとなったことに対する発言。

「なんで俺ら男はいつも、女に奢らにゃあかんのや? そんなん、おかしいやろ!! セックスするたびに、いちいち金払わなきゃいかんのか」

「奢る奢られ論争」の火種は、バブル以前からあったのですね。


1日に平均3回ほど「性的なことを考える」女と、

58秒に一回「性的なことを考える」男では、

本質的に接点などはあるはずもない。

と、橘玲さんの本に書いてありました。

結局、そのあたりに、男女の違いというものが見て取れる気がします。



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