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昭和の残像「未来を夢見て輝いていた✨子供たち」昭和40年代の小学館の学年誌📚

昭和の懐かしアイテム小学館の「学年誌」昭和40年代をテーマにします。

昭和の懐かしいアイテムといえば、小学館の学年誌『小学一年生』が思い浮かびますね。この学年誌は、大正から令和まで、4つの時代を超えて子どもたちの好奇心を育んできました。特に昭和30~40年代には、懐かしい「ふろく」が子どもたちの注目を集めていました。

以下は、昭和レトロな学年誌のふろくの一部です:

おひさまチェキカメラ: 懐かしの日光写真を復活させたインスタントカメラ風のふろく。

だがしやさんじはんき: ボタンを押すとココアシガレットなど、おなじみの駄菓子のミニチュアが出てくる。

小学館は創業から学年誌とともに歩んできた歴史を持ち、2022年に100周年を迎えました。学年誌のふろくは、子どもたちの夢やあこがれを叶える一翼を担ってきたのです。

このような懐かしい学年誌のふろくは、昭和文化を振り返る素晴らしい手がかりとなっています。

高度成長期の真っ只中にあり、この時代の子どもたちにとって、小学館の「学年誌」はただの雑誌ではなく、夢と冒険に満ちた宝箱だった。学年誌は、教育的な内容はもちろん、漫画やゲーム、そして「ふろく」と呼ばれる付録が子どもたちの心を掴んで離さなかった。

「学年誌」は1922年に創刊され、以来、幼稚園児から小学生を対象にした総合雑誌として親しまれてきた。昭和40年代には、「オバケのQ太郎」、「ドラえもん」、「あさりちゃん」、「とっとこハム太郎」といった数多くの人気漫画が生み出され、子どもたちの間で絶大な人気を博した。また、任天堂のテレビゲームから派生したキャラクターの漫画版も積極的に掲載され、ゲームソフトの記事や公式攻略本の発行に至るまで、任天堂との密接な関係を築いていた。

昭和40年代の学年誌は、当時の子どもたちにとって、情報源であり、娯楽であり、学びの場であった。それは、今日のインターネットが果たしている役割にも似ている。学年誌は、子どもたちにとっての窓であり、外の世界への扉だったのだ。

そして、学年誌の「ふろく」は、その時代の文化を反映した貴重なアイテムである。例えば、昭和36年には「すぴーどかーちょきんばこ」、昭和37年には「小一ぐらいだー」、昭和39年には「きせかええほん」、昭和42年には「おもしろカメラ」といった、今ではレトロな魅力に溢れるふろくが子どもたちを魅了していた。

昭和40年代の学年誌は、今見ても新鮮で、当時の子どもたちの生活や文化、夢や希望が詰まっている。それは、大人になった今でも、多くの人々にとって懐かしさとともに、新しい発見を提供してくれる。学年誌は、時代を超えて愛される、日本の文化遺産の一つと言えるだろう。

昭和40年代の学年誌を振り返ることは、当時を知る人々にとっては懐かしい思い出の旅であり、若い世代にとっては新しい発見と冒険の旅である。それは、昭和の日本がどのような時代だったのか、そして子どもたちが何に夢中になっていたのかを知る手がかりとなる。

今日でも、昭和40年代の学年誌は、古本市場やオンラインオークションで取引され、コレクターたちの間で価値が再評価されている。それは、単なる古い雑誌ではなく、時代の記憶と文化の宝庫として、これからも大切にされていくに違いない。昭和の日々を懐かしむとともに、学年誌が伝える子ども文化の歴史を、これからも大切にしていきたい。

平成期、仕事で、千代田区一ツ橋の小学館と姉妹会社の集英社によく出向いていた。
わたしの昭和の思い出がいっぱい詰まっている。

先だっても、少年サンデーコミックスの「漂流教室」について、小学館の担当の方とお話をさせて頂いた。リアルタイムで全学年誌も、サンデーコミックスもほとんど買って読破している。

当時のウルトラマンの版権は、小学館とタカラ(変身サイボーグ)、ブルマアク(今のバンダイナムコ)が持っていて、バンダイや講談社は無縁だった。そのころはタカラのリカちゃんが一大勢力。1990年代にセーラームーンが出てくるまでは、女玩と言えばリカちゃんだったから。
また、タイガーマスクと仮面ライダーは、講談社の「ぼくらマガジン」「テレビマガジン」、バンダイの子会社のポピー社が権利を有していた。

マジンガーZは集英社と講談社。ゲッター・ロボは小学館というように、両社は、児童が多かったあの時代の少年誌御三家が、この3社。これに「冒険王」の秋田書店も存在していた。

わたしは、これらすべての出版社と関係があり、何度でも訪れ、役員さんとの打ち合わせや、出版部に出入りしていた。

千代田区一橋の小学館と集英社、文京区音羽の講談社、千代田区飯田橋の秋田書店。また、知人はジャンプの編集部にいたから、当時のことがよく聞けた。彼は、防衛大学校卒の自衛隊員から転職して、集英社に入社した変わり種。しかも、演歌歌手でもあった。ジャンプにまつわるウラ話が沢山あるが内緒にしておこう。

ともあれ、小学館の学年誌。わたしたちにとって光り輝く、日本の高度成長期の日本に思春期と青春期を過ごしたものにとっては格別な思いがある。それは今も変わらない。


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