「猫」はいいけど「本」は?
8月20日、「大家の学校」集中ゼミの2回目のリモートがありました。前回のnoteで書いたように、この一月の進捗を報告するとともに、「猫をどこまで問題」(猫のいるコワーキングをどうするか)を中心に発表しました。
青木純さんからは、「大家の学校」の事務局もやっていた黛純太さんが僕の姿勢を受け入れて、積極的になってくれたと思うので、いい伴奏者になってくれるのではとの言葉がありました。
その一方で、本に関してはもっと深掘りが必要で、自分ならではの、今までやってきたスキルを活かせるような、そして自分で楽しめるような、「はっぴーの家ろっけん」の首藤さんが話していた「エゴの社会化」をもっとやってもいいのでは。設計段階の今だからこそ、自分の存在を深掘りしてみては、とのアドバイスももらいました。
他にはない、自分だからこそできる、今しかできないことをやってみよう! 誰かがやっていることは後からでもできる。自分にとって「猫と本」とは何かをもっと考えてみよう、との熱い言葉がありました。
集中ゼミナールが終わった後、自分が本にまつわる何をしたいか考えてみて、翌日、送った文章が以下のものになります。
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純さん、安藤さん、昨日はありがとうございました。
みさなん、お疲れさまでした。
⚫︎「本に関する場で、自分が何をしたいのか」について、1日たった現在の捉え方ですが、自分が何かしたいというよりも、本をきっかけとして誰かに喜んでもらえるような場をつくりたい、それを実現する一つのケースが一棚ライブラリーだったというのが、今のところの考えです。
これも「自分がしたいこと」ではあるけれど、自分のことよりも周りの人が喜んでくれることの方に、エネルギーが出せるように感じています。
一棚が「書店」か「図書館」かということについて言うと、出版業界にいた身としては、1店舗でも書店が増えてほしいという望みはあります。ではなぜ、一棚図書館をやりたいかというと、一棚書店では棚オーナーにいくばくかの売り上げが入りますが、図書館の場合は月額料金を払うばかりでオーナーに身入りはまったくありません。
それでも一棚図書館のオーナーになるのは、そのコミュニティへの参加料というか、お金を払ってでも集いたい場、コミュニティがあるからだということで、現代の資本主義のなかの社会実験として面白いな、チャレンジしてみたいなと思い、書店ではなく図書館をやりたいと考えています(政治的にいえば、僕は社会民主主義者に近いと自認しています)。
多くの人がそうかもしれませんが、昔から人に自分の好きな本や映画や音楽などを勧めることが好きで、友だちだけでなく、定年を迎えた奥さんのお父さんにちょっと長めの小説を何度か紹介したりもしました。一棚ライブラリーは、そうした誰かに読んでほしい本を置いて、誰かに勧めることの喜びと、誰かが勧めてくれた新しい本に出会う喜びが交差する場になってくれればと思っています。
その一棚ライブラリーの場では、キッチンも含むイベントをしたいです。自分で淹れたコーヒーを出したい人や手仕事のイベント、または本の読書会のようなイベント、それから映画が好きなので映画上映会などもやっていきたいと思っています。この半年、地元で活動している人たちと知り合って、自分でイベントをやりたい人がすごくいっぱいいることを知りました。そんな人に使ってもらえれば嬉しいです。
⚫︎自分のスキルについてですが、これまでの出版業界での経験的なことを書いてみます。新卒で入った角川書店で3年ほど営業をやって、その後も営業が続きそうだったので辞めて、編集業務しかない編集プロダクションに入りました。たまたま入ったプロダクションが主に日本の近現代の戦争関係を扱っていて、自分は戦争に全然詳しくなかったのですが、そこでの仕事として戦争ものの記事を書いていくうちに、専門家ほどではなくても、それなりに戦争ものが書けるようになりました。
近現代の歴史は戦争抜きには考えられないもので、プロダクションを辞めたあとは、戦争ものとともに近現代史全般について書いています(今でも依頼はありますが、戦争のドンパチ的な戦記は書けても好きではないです。歴史としての国のあり方、社会の世相や文化、事件ものなどは好きです)。
といったところで、自分のスキルとしては、歴史の出来事を間違いなく(歴史ではここが大事)、わかりやすく伝えるような文章を書くことくらいだと感じています。なので、本を出したいと思っている人に、文章教室なんて大層なものではなく、助言程度のことはいくらかできるかなくらいの感覚です。
それでも、何ができるか。他にはない、自分だからこその、自分が楽しめるような何かを探してみます。純さんがおっしゃった「今だからこそ」。誰かがやっていることは後からでもやれると考えて、改めて自分のエゴを考えてみます。
⚫︎もう一つ、「仕事をしながら猫に癒されたい」ということについて。これは猫好きのうちの奥さんの発案で、彼女はもともと猫好きだったけれど、会社を早期退職して猫の世話ができるようになってから、昨年、猫を飼い始めました。
会社勤め時代、結構精神的に辛かったようで、「仕事をしている場に猫がいたら癒される」と感じていて、今回、コワーキングスペースを作るのであれば、是非とも「猫がいるコワーキング」を実現したいとの希望があり、僕もなんとかそれを叶えたいと思っています。コワーキングをやろうと思ったのには、そんな背景があります。
安藤さんがおっしゃった「猫と本」が環境として一体となり、自分がそこにいることも含めて心地よい空間が生まれることを心掛けて、「猫と本」の場の想像を広げてみます。
それが昨日、最後に話したことに繋がるかどうか、自分が書いている歴史などの“大文字”のカルチャーから、映画や演劇、音楽、小説、アニメといったサブカルチャーも含め、この場のイメージとしてふと思い浮かんだ言葉が「梁山泊」でした(「梁山泊」がどういったものを示すのかは、明確ではありませんが)。BONUS TRACKのある下北のような若者文化とは違った形で、湘南地方の、本を中核に据えたカルチャーの発信基地の一つとなれば最高です。
長文、失礼しました。
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といった考えを抱きつつ、「本と猫」の新築物件はまだまだ混沌の中で模索が続きます(冒頭の写真は埼玉県草加市の一棚図書館「さいかちどブンコ」)。