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今、改めてウィリアム・エグルストンを読む

ウィリアム・エグルストンという写真家が居る。
ニュー・カラーを代表する写真家の一人と紹介されるので写真を撮られる方はご存知の方も多いと思うし、ヘッダーに「William Eggleston's Guide」の表紙の写真を上げているけど、この三輪車の写真だけを見たことがある人が居るかもしれない。

僕がウィリアム・エグルストンの写真集に初めて手を出したのは写真集を買い始めた頃にAmazonでブックデポジトリー販売の「William Eggleston's Guide」が安価で売られていたことがきっかけで、その時は作家そのものはあまり知らなかった。

当時は石元泰博の「桂離宮」を読み、凄まじい衝撃を受けていた時期でもあって、(僕には)完璧(に見える)で神経質なまでに精緻な構図に惹かれ、モノクロ写真に傾倒し始めている頃だ。
ニュー・カラーを代表する作家であるならばスティーブン・ショアなどに惹かれていて、ウィリアム・エグルストンの写真集には引っかかるものが少なかったように記憶している。
モノクロ写真で云うならロバート・フランクの「The Americans」よりもリー・フリードランダーの写真集に惹かれるような感じだと思っていた。

そういうわけで本棚に写真集が増えていくに従ってウィリアム・エグルストンの「William Eggleston's Guide」を読む機会は減っていって今に至るわけであるが、何度も話題に挙げて恐縮ではあるのだけど、先日にアレック・ソスの写真集を注文したということで、比較したいと思って読んだスティーブン・ショアの写真集の隣にあったことから、合わせて久しぶりに手に取ったのである。

スティーブン・ショアは相変わらず良いと感じており、改めて語るなら別の場所ということでこの場での詳しい言及は避けるが、衝撃だったのがウィリアム・エグルストンだった。

前にはなんとなくいい感じ程度のざっくりとした印象しか残さなかった写真集が意味を変えていた。写真に写っている被写体、モチーフについては、今の視点で見るなら真新しさはないように思う(先駆者なので模倣の対象でもあるし、当時に活躍していたり前の時期に活躍していたモノクロ写真の作家から影響も受けているはず)のだが、一連の写真群を並べてみたときのテンポ、緩急の揺らぎを感じるし、それが心地よい。

この2年間で感覚の変化を齎した要因については自己分析の必要があるのだけど、ある意味で揺らがない硬質な写真に魅力を感じ続けていた反動なのかもしれないように思う。この揺らぎは自己分析では僕の写真からはノイズとして極力排していたように思うし、出ていたら自分の意図としては失敗と思っていたように思う。
今の撮り方を続けてきたから受け止め方の違いが出てきたかと思うと我が事ながら興味深く感じる。



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