指導医と合わなかったらどうするか
私は大体の人と上手くやれるほうだ。
でも人生で何回か、ものすごい人に嫌われたことがある。
【研修医一年目】
ある内科の指導医にものすごく嫌われた。いじめられたといっても過言ではない。
理由はよくわからない。
最初から目も合わせてくれなかった。
まっすぐ私を見るときは大抵ものすごく怒鳴られるときだった。
笑顔を見せてくれたことはない。
研修医の女医はなんぼいうても若いし、割と優しくしてもらえることの方が多い。でもその先生は正反対だった。
具体的に何がどうだったかは思い出せない。
でも思い出せなくてよかった、と思う。
辛いことを十何年も覚えていたら、生きていけない。
脳の忘れる機能、万歳!
でも一つだけ思い出したエピソードを紹介する。
患者さんの化学療法の薬を用意することになり、ナースステーションの裏に行った。
そしたら突然指導医がどっかに行って、行方がわからなくなったので、PHSに電話した。
そしたらすごく怒鳴られて
「電話かけてこずに自分の足で探せ!」
と言われた。
文章で書くと、なんかデカ風...
イライラした顔で指導医は戻ってきた。
そして
「お前、それ自分でやっとけ。」
と言い放って、またどこかに行ってしまった。
そのとき私は初めてのケモづめだった。
でも指導医には頼れなかった。もう恐怖で何も言えなかった。
化学の試験のように一生懸命計算し、どうにか作った。
でもこれで正しいのか自信がなかった。
正しくない量を患者さんに投与したらどうしよう、と怖かった。
でも指導医には聞けなかった。もちろん周りの看護師さんにも聞けなかった。
そんな状況なのを同期にも言えなかった。
その先生が他の研修医とモメたという話は聞かなかったからだ。
私だけその先生と上手くやれなくて、嫌われている。
そのことを認め、人に言うのが恥ずかしかったからだ。
毎日毎日何をしても怒られ、無視される時も多かった。
当然の事ながら、褒められたことは一度もない。
その内科の研修は2ヶ月。どれくらい我慢したかは覚えていない。
ある日、何かの拍子でもう無理だ、と何かがぷっつーんと切れた。
18時くらいから病棟のトイレでずっと泣いていた。
その後、研修医センターの人に電話して事情を話した。
「明日はとりあえず休んでいい、対応を考える」と言ってもらえた。
次の日、研修医センターの人が連絡をくれて、他の内科の教授がすぐ引き取ってくれると言ってくれてると教えてくれた。
内科は何個か必修で回らなければいけない。そうじゃないと研修を修了できない。
そしてその内科を回らせてもらうことになった。
その内科で初めての学会発表の機会ももらった。
そこではなんの問題もなかった。私は嫌われなかった。
でもトラウマでしばらく上の先生に電話ができなくなった。
あまりに私が電話をしないので、おかしいと思った他の指導医が
「先生、なんかあったらすぐ電話してね
すごいちょっとしたことでもいいんだからね」
と言ってくれた。それからまた電話できるようになった。
私のことを嫌っていた先生とはもちろんその後も同じ病院だし、それから何回も顔を合わせた。でも睨まれるだけで、何も言われなかった。
今考えても何がダメだったのかあんまりわからない。
私がどんくさかったからだろうか。
どうすべきだったのかもわからない。
今だったらもうちょっと何か言えるかもしれない。
都会に出たり、アメリカに来たりで強くなった。
でも日本人の根性論からすると、もっとその科で頑張るべきだったのかもしれない。
でも当時の私にはできなかった。
だから他人に相談し、科を変える、という措置をとってもらった。
それでよかったと思う。
そのおかげで研修にすぐ復帰できた。
最近知ったが、人間、2割の人にはどうしても嫌われるらしい。
これまで何年も
『指導医に嫌われて、その科の研修ができなくなった、弱い、ダメな自分』
のことを恥ずかしいと思ってきた。
でもそれを知ってからなんだ、そうだったんだって思った。
すごい嫌われても、全然関わらなくていい人だったらいい。
嫌われても最低限教えてくれて、責任をおってくれる人ならいい。
でも研修医(特に一年目)の指導医に嫌われ、何にも教えてくれないとかなり困る。患者さんにも迷惑がかかる。
職場の人間関係というのは時に難しい。
でも理不尽すぎてもう無理だと思ったら、開き直って、何か行動を起こした方がいい。
そのラインを決めるのは自分だ。
恥ずかしくても、人に助けてくれ、とSOSを出すのだ。
うつ病になって、長期休んだり
自殺したり
その方がよっぽど大ごとだ。
人生とはいいことばかりではない。
でも嫌なことの後には必ずいいことがあるよ!
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