スピノザに言及する哲学者たち・その3マルティン・ハイデガー
マルクス・ガブリエルの発言により、どうやらX(旧Twitter)ではハイデガーがトピックに入っているようだ。
それについて、私はここでは言及しないが、ハイデガーという哲学者は、あれだけの大哲学者であるにも関わらず、スピノザに対しては沈黙をしていた、ということでも有名である。
それは哲学史上における一つの<謎>になっているのだが、ジャック・デリダがそのことについて、ハイデガーによる「スピノザの排除」というやや過激めな表現で触れている本があるので、関心がある方は『主体の後に誰が来るのか?』(現代企画室)をチェックしてみてほしい。
さて、そんなハイデガーだが、スピノザについて唯一言及している本といわれてるのが、『シェリング講義』である。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリングは、ドイツの哲学者である。フィヒテ、ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとりである。
本書の概要は、以下のようになっている。
概要にもあるように、ハイデガーがシェリングについて講義する、というものであるのだが、この中で、ハイデガーによるスピノザへの言及が出てくるのだ。それも、12か所となかなかの多い言及である。
ドイツ哲学を代表するヘーゲル、カントについてはそれぞれ27か所、25か所と、当然ながらもっとも多い。スピノザと並べて語られることが多いデカルトで17か所、ライプニッツは15か所、プラトン10か所、アリストテレスで6か所なので、スピノザに対する言及もそれなりにある、といえる。
この講義の中で、スピノザについてハイデガーが言及している箇所の一部を、順番に取り出してみる。
⑴ ヤコービの著書によってドイツで巻き起こった汎神論争について触れている。(P21)
⑵ 存在者全体というそれまでキリスト教的に経験されてきた領域が、すべての存在を数学的な基礎づけ連関という形式のうちで規定していく思考作用の法則性に従って考えなおされ、作りなおされる、と述べたのち、スピノザの『エチカ』から「観念の秩序と連結は、物の秩序と連結と同一である」という有名なテーゼを引用している。(P78)
⑶「この体系形成の歴史は、近代科学の成立史である」とハイデガーは述べ、その体系を作ってきた哲学者として、デカルト、マルブランシュ、パスカル、スピノザ、ホッブズ、ライプニッツ、ヴォルフの名を挙げる。
「完成された、つまりその基礎づけの連関において十分に練りあげられた唯一の体系は、スピノザの形而上学」であるとし、『エチカ』の紹介、五部構成の表題を挙げている。
だが、この体系は「独特の一面性」がある、それについては後で述べよう、と匂わせを行っている。ここでスピノザの名を挙げるのは、シェリングにも影響があり、シェリングが誤解によって理解されてきたということを述べる。
「シェリング哲学がスピノザ主義と称されてきたのも、この奇妙な誤解の歴史の一環をなすものです」
「シェリングがなんからの体系と徹底して戦ったとすれば、それはまさしくスピノザの体系にほかなりません」
と、シェリングは誤解されてきたのであり、彼はスピノザ主義ではなく、スピノザの体系と戦ってきたのだと述べているる。
そして、ここが重要だが、ハイデガーは次のように述べる。
「だれかある思想家がスピノザの真の誤りを見きわめたとすれば、それはまさしくシェリングにほかならないのです」(P80~82)
⑷ ヤコービによる、スピノザの「汎神論」について触れている。このヤコービに対するシェリングの論駁を、ハイデガーは持ち上げる。(P150~152)
⑸ シェリングがスピノザを例にとるのは、汎神論が重要なのではなく、その根底にある「存在論」こそが、宿命論の敵であり、「つまり自由の排除とその誤解のもつ危険をともなうものなのだというまさにそこのことを示そうとしているのです。」(P162~165)
⑹ シェリングは、「すべての近代の体系には、ライプニッツのそれにもスピノザのそれにも同じように、自由の本来的概念」が欠けていると言うことができるのだし、そう言わざるをえない」とハイデガーは述べている。(P192)
⑺ いまや考察は、スピノザ主義の真の誤謬があばかれうる段階にきました、とハイデガーは述べ、シェリングがこの誤謬を捉えていたとして、シェリングの著作(『人間的自由の本質』)から引用する。
「誤りは・・・けっして彼(スピノザ)が諸事物を神の内に定立しているところにあるのではなく、神が諸事物であり」、神もまた「彼にとってはまさしく一個の事物であるとするところにあるのだ」と引用し、スピノザの思想は、存在論的な「誤謬」であると、厳しく批判している。
そして「スピノザ主義は、まさしく無神論にほかならず、誠実な人ならだれでもがそれを忌み嫌うにちがいないから、というわけです」と、シェリングの言葉でまとめに入る。(P200~202)
最終的には、ライプニッツとカントによってもたらされたドイツ観念論を称賛する形でしめられる。
上記の引用からも明らかだが、シェリングもハイデガーもスピノザを批判する形で、ドイツ観念論の可能性を見出そうとしているのだが、「誤りは・・・けっして彼(スピノザ)が諸事物を神の内に定立しているところにあるのではなく、神が諸事物であり」、神もまた「彼にとってはまさしく一個の事物であるとするところにあるのだ」という解釈には、スピノザ思想への誤解があると言わざるをえない。
いずれにしても、ハイデガーが、スピノザに対して唯一言及している本講義の中で、スピノザの扱いは、ドイツ観念論においては「仮想敵」のままのようだ。
スピノザ主義という「汎神論」的な、機械論的な自然観の思想が、自由思想を脅かすものであり、ドイツ観念論はそこに立ち向かってきたからこそ、輝いているのだというストーリーは、カントが仮想敵としてスピノザ主義に対して行ってきた構図と重なるものがあるように思える。
しかし、カントが、じつはスピノザというよりは、誤読によって歪められたスピノザ主義を批判していたのだ、という研究もあり、ドイツ観念論とスピノザの関係は、いろいろと入り組んでいる。
私にそれを語る力は到底ないのだが、このあたりは、『スピノザと近代ドイツ』(岩波書店)で詳しく知ることができる。
だが、この書において、ハイデガーとスピノザの関係は残念ながら言及されていない。ただし、あとがきにはこうある。
スピノザとドイツ哲学の歴史は、ハイデガーの関係一つとってみても、どうもひとすじ縄ではいかないようだ。
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