続 選択的教職員労働論
昨日のNOTEにもう少しだけ補足して書きます。実はこの選択は既に行われていると思われているだろうこととは意を異にするからです。ソフトに書きすぎて伝わんないよね、この文章ではと思い直した次第です。なぜなら最も福利厚生が充実した職場にいるのが教職員だからです。
今ならGAFAの方が、、、という感じでしょうが、それはさておき、まずこれに異論をさしはさんでおきます。
これは使う人間にとっては最強ですがフツーの人間にとっては捨て去るだけの福利厚生です。ちなみに私はこれまでの教員生活で教職員向けの福利厚生の恩恵に浴したことはありません。もちろんこれからもそうではないなんてことはないかもしれないと言われれば全くそのとおりなんですが、おそらく個人的感覚としては有給消化すらしないで退職する可能性が濃厚です。
なぜかこうした公務員の制度は女性に特に手厚く設計されています。小学校教員はほとんどが女性だったという20数年前の状況がそうさせているんでしょうが、今の時代にマッチしているとは言い難い。このように独身で男性で真面目な人間にとっては利用価値の少ない制度であります。逆に(ry 自主規制 ということです。
まずはこの批判があってこその今回の選択的教職員労働論の論理展開です。多分この層が存在しなければ学校現場は労働力不足にはなっていません。つまり学校現場には学校現場にとって全く必要のない、学校現場でやらなくてもよい仕事を行っている人間が学校現場には居るわけです。
その人間がどっかヨソにいてくれれば話がややこしくならないですむこと、つまり実際の仕事が減る事案が今の学校現場には山ほどあるわけです。この典型が学校管理職であり、担任以外の教員なわけです。こうした人間が持ち込む案件というのは基本的に学校教員の業務から逸脱しているものばかりです。変な調査とかお金の出どころの怪しい配布物とかクレーム処理とか地域の重鎮のための作業とか老害の残した功績のお守りとかいうことだからです。
教員は不足していない、労働力が不足しているだけだ。授業の質はそんなに高くなくて良い、一生懸命やってくれればそれで良い。
これは私が昔から良く言っていることです。なぜこんなことを言わなくてはならないか?一つは教育委員会と学校管理職はこれと真逆のことを目指すからです。学校をよくするためではなく、自分の憶えをめでたくするために。
二つ目は、教職員の不満や愚痴の行き先がいつもここに行き着くからです。おそらく一般的な教員は教職員集団をコントロールすることは考えません。なぜなら自分の感情を保つだけで精一杯だからです。しかし教職員集団をコントロールした方が問題は解決しやすいし、長続きするんです。カイゼンにも着手しやすい。そういもんです。やってみればわかります。
なにより個人のせいにしなくてすみます。自分の感情を保つだけのときは必ず個人攻撃を伴います。表に出すか出さないかは別にして。そこにコミットするための選択的教職員労働論です。くどいですが。
すごく誤解されると思うので先に断っときます。福利厚生や制度を使う人が悪で使わない人が善などとは言うつもりはありません。ただの事実としてそうなっているということです。つまり制度が個人的な感覚によって運用に差が出るということを積極的に避けていく制度設計にしてはどうか?ということです。
今は制度活用自体が個人のさじ加減に任されています。今現在でも耳を疑うような話、例えば学校管理職から妊娠を禁じられたというような話は右からも左からも聞きます。事実かどうかが確かめようもないけど・・・学校管理職も教育委員会もブラックボックスでしゃべった話を絶対証拠を残さないようにしているからです。兵庫県知事のように・・・
この福利厚生制度をさらに著しくややこしくしているのはその勤務形態の細分化のためです。場合分けを増やせば個別に対応できると考えるのは数学ができない人間のやり方ですが、文系人間はこれを己の感覚のみで非科学的にやっちまいます。「ハウルの動く城」のように。
実際、時間講師や退職者などの雇用形態の別、個人の事情による勤務形態、都道府県単位もしくは市町村単位の独自の加配の別、教育委員会・議員・行政の思いつきによる単年度の取り組みのための人員配置など入り乱れています。これに正規の時短勤務や介護のための勤務などが加わると勤務の管理だけで一仕事になります。加えて非常に個人的な都合と非常に身勝手な自治体独自の労務管理の都合の日常的な出逢いによって気が狂いそうになります。
管理職でもないのにおさぼりさんのせいでこうしたものまで差配させられる優秀すぎる若手というのは割りと居るんですね。私も経験があります。
そのとき思っていたのはこの区分を極力減らせれば労務管理がラクだし、なにより不公平感が和らぐのに・・・ということでした。
ここを正規非正規に依らず「現状の教員」と「業務特化教員」の二本立てにすれば管理がラクだし、業務を固定することで時間的な融通も効かせることを利用者にも教職員にも周知できるということです。今の教育現場は自分で勝手に業務特化にしてしまい給与もぶんどる非常に厚かましい子育て世代がいます。そうした行為を嫌がってきちんとやめてしまう教員向きの人間もいるにも関わらずです。
今の学校現場を教員という一括りでブラック化を避け、業務を選別することは不可能です。なので・・・
昨日と同じことを繰り返せば、今の業務形態をきちんと引き継ぐ「教職員」と時間や業務を固定化してそれ以外を担わないようにしてフレックスで働きやすくする「業務特化型教員」を現状の定数内で、正規雇用で、行えるように教職員の仕事を設置者段階でマネジメントするのはどうかというのがこの提案の意図です。もちろんこの選択は年度単位での変更が教職員自身のライフワークバランスにおいて保証され、次年度の学校運営上の計画として効率的かつ公平に第三者機関によって管理される必要があります。
これは多分AIの出番だと思いますが・・・こうすれば個人的な希望によって望まれてもいないのに勘違いして何年も同じ教員が持ち上がって担任を続けるということもなくなりますし、短い周期での転勤にもより機敏に対応できることになります。
それが学校という働き場所をオープンにしていくことにつながっていくということです。正直、どんなポジションであれ、学校にいる古株がいいアジを出しているということが効果的に作用しているみたいなことは実際にはありません。そういうふうに自己評価する阿呆は山ほど見たことがありますが・・・既得権益を廃するためにも、そして実はこちらの方が重要なのですが60歳以降の教職員の働き方を規定するためにもそうした流れを生み出さなければなりません。こうした労働形態は実は専門職の現場ではあまり類を見ない試みなんです。私の予測は比率がそう増えないだろうということなんですがあまり自信が持てません。なぜなら自治体は教員が不足すると見るや雇用形態の場合分けを増やしてくる可能性が高いからです。もし今の学校現場においてまともに動ける比率が減り、口先だけの人間の比率が今より増えれば問題は教員の給与や待遇だけに議論にとどまらず、子どもの方にまで直接的な不具合が出てくることが常態化する可能性があります。実は今最も心配しているのはそこなんです。
現場で若手に話してみても全く現実感が湧かないようで、なんとかなるでしょ臭が漂います。
こうした未来に訪れそうな課題も含めての選択的教職員の労働形態論だったということを改めて主張しておきます。
想いが漏れ出ちゃったなぁ(溜息)