“何か”に書かせてもらった物語はいつしか、福島にもらったものをお返ししたい、そんな思いに変わっていた
もしかしたら、他の誰とも違っているかもしれない『あの日』への思いについて、やっと言葉になったのは、この春の事でした。
私が生まれ育った場所であり、その私の両親も祖父母も生まれ育ち暮らし続けてきた山形県。
DNAからして、どっぷりと山形県色にそまっていたはずの私が、そこに居場所を見つけられず、代わりに暮らし始めたのは、福島県でした。
たかが隣県、と言えないほどの違い。
完全な山間と、海にほど近い場所の食物、食文化。
日本海側と太平洋側の気候、季節感。
方言すら違う場所で、もっとも私が馴染めなかったのは、『土』が違う、という事でした。
生家の裏手の山を一人歩き、山の風が“許してくれている”と思えた場所で、再び風に“帰れ”と言われるまで、ひたすらじっとたたずんでいる事が何より好きだった私にとって、それは最も受け入れるのが難しい理解でした。
【産土】うぶすな、という言葉があります。
私が結婚して足を踏み入れるようになった山は、自生する植物こそ実家の山と同じでも、どこか、距離があるのです。私が他所の産土の人間である事を、山は強く感じていたのでしょう。
決して山に拒否されていたわけではありません。むしろ歓迎してもらっていました。
が、いつまでも、どこか、“お客様”。
その肌触りがいつの間にか変わっていた事に気づいたのは、義父が亡くなって少し経ってからの事でした。
現代の感覚を生きる人達には眉をひそめられるような、旧な価値観の中で生まれ育ち、
また、土地柄のため少々異なっていたとはいえ、やはりそれが色濃く残る義家で、
“嫁”の私は、それにうまく対処できなかった事で破談になった一度目をこの家でも繰り返すまいと、懸命ながら不安でしかありませんでした。
それが拍子抜けするほどあっけなく、近所集落含めて馴染ませてもらったのは、義父のおかげ以外の何物でもありません。
義母と夫婦喧嘩してしまい仲直りできずに困っているから助けてほしい、と、可愛らしい緊急電話を下さった事もありました(笑)。
死の床で、“嫁”の私を一人、枕元に呼んで、言葉を下さった時の事は忘れられません。
空にのぼった煙が、雨とともに、義父の山に帰ってきたのでしょうか。
そういえば義父と一緒に入る山は“こんなふうに”、「馴染みの人にはこんなにくだけた感じになるのか」と、「山も緊張していたんだな」と、不思議に感慨深く思った事を思い出したのです。
ここまで義父とのエピソードばかりお話ししましたが、本当は義父以外にも、数えきれないくらいたくさんの、素晴らしい出会いと、その人達と過ごした時間が、ここ福島県にはあります。
数年前から、故郷山形県で負って忘れていたはずの心の傷に、再び向き合わざるを得なくなり始めました。
どうしたら良いかも分からず、辛さのあまりただ途方に暮れていた時、自分勝手に過去の重さにつぶれている場合ではない、と、突然、大きなものに激しく叱咤されるように自分の中にぶち込まれたのが、ここ福島県に生きる人々の物語でした。
過去記事でちらっとつぶやきました、予言書のように現実がシンクロして来て、怖くまで感じた物語は、これです。
趣味の小説が予言のようになっていって怖い|八名木 遙子(ハルコ) (note.com)
何か、急かされているような気がして、必死に頑張った結果、結末の秋を待たずに完成致しました。
推敲の結果、明確に“そう”と思わせてしまう文章は削りましたので、もう読んでも分からないと思います。
時と場所を、できる限り限定しないで読んでいただきたいと、強く思っているからです。
ここまでこのようにお話ししておいてなんですが(笑)、
物語はスピリチュアル系とは1mmも関係のない音楽の話ですので、スピリチュアル系に苦手意識をお持ちの方も、ご安心して、お手に取ってみていただきたいと思います。
※kindleの読み放題に入っていらっしゃる方は無料です。
帰省の移動中のお暇つぶしに、ぜひ。
こんな方に、きっと面白がっていただけると思います。
あ、自然と一体になる感覚が好きな方には、たまらない描写がありますよ(笑)。
『そまみちを、これからもタクトと』
宜しくお願いいたします。
あらすじ紹介
『それは音楽じゃない。ただの音だ』。
強い希望だった指揮者を目指す道を見失って音大を卒業した奏介は、親友の伝手を頼りに、知る人もいない田舎に逃げ込むように一人暮らしを始めた。
癒えない傷心、親友への嫉妬、望んだはずの孤独。忍び寄る諦めを受け入れようとしていたその時、聴こえてきたのは、山の大気に溶け込むような美しいホルンの音色だった。
このホルンを最大限に活かして、オーケストラを指揮したい。
息を吹き返す情熱。しかし、奏介が駆けずり回って捜し出したその音の主は、人前では楽器を吹く事のできない場面緘黙症の少女だった――。
価値観の破壊を受け入れた後、小さな感情をすくい上げながら再生していくさまは、悩みとともに生きる事を肯定できる自分になる過程でもある事を、福島県のとある山間部の町を舞台に、強いエールを込めて描いた物語。