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「自分ごと化」して読んでみた一冊。

「カラダにピース。」
「行くぜ、東北。」
「WAON」
「健康にアイデアを」

いちどは耳にしたことがある、あるいは目にしたことがある、この言葉たち。
コピーライターの坂本和加さんが生み出されたフレーズだ。


この坂本和加さんの『ひとこと化 人を動かす「短く、深い言葉」のつくり方』という本を読んだ。


「ひとこと」で、一番言いたいことを伝える方法が書かれているのだが。
私は主に、次の2つの視点を持って読んだ。

ひとつは「子どもの言葉を育てる」ということ。
もうひとつは、「noteで記事を書くこと」にいかすということ。


この2つの視点から、本の内容を紹介しつつ、自分が感じたり考えたりしたことをまとめた。
長くなってしまったので、気になる部分だけでもお読みいただき、本書の魅力を少しでも感じていただければ幸いである。


(1)子どもの言葉を育てる

・小学校の「キャッチコピー」の授業

坂本さんは、小学校で「自分にキャッチコピーをつけよう」という授業をされているそうだ。

自分のいいところを探し、他者からの視点も取り入れ、自分だけの「自分をあらわす言葉」を見つけて、磨いていく。
おとながやっても、おもしろそうだ。

この授業に、評価はない。
「みんなちがって、みんないい」だそうだ。

自分が一番伝えたい、自分を表す「ひとこと」を見つけることは、自分が唯一の存在であると気づかせてくれる。

どうしても「ふつう」を求め、求められる風潮がぬぐえない社会。
子どもが、こんなふうに「ありのままの自分」のすばらしさに気づく機会を持てる授業は、とても魅力的だ。

わたしも、小学校教諭として一番力を入れているのは「国語」だ。
言葉の授業の大切さ、そして子どもたちの「自分らしさ」を認め合えるような授業をしてくださる坂本さんの考え方に、とても共感した。


・「書くということは、パンツを脱ぐことだ」

これは、坂本和加さんの師匠・一倉宏さんの言葉だそうだ。
一倉宏さんは、リクルート「まだ、ここにない、出会い」やファミマの「あなたと、コンビに」などのコピーを生み出した方。

一倉さんが言いたいことは、「書く」、「表現する」という行為は、それくらい恥ずかしいということ。

坂本さんいわく、先ほどの小学校の授業でも、子どもたちは書いた作品を、必死に隠そうとするのだそうだ。

わかるわかる、やってました。
特に、国語では自分の考えを書く部分でおおいに隠し、自信なさげにする子がいた。みんなと違うのでは、おかしいのではと不安そうだった。

でも、坂本さんも「どんどん見せてみるのが大事」と述べておられる。
特に子どもたちの表現には、その子らしさの溢れる「表現のかけら」がきらりと輝いているそうだ。


そういえば、国語『かさこじぞう』の授業をしたとき、ばさまとじさまの関係を「ほっこりする」と書いた子がいた。
めちゃくちゃやんちゃで、ほっこりどころか周りをいつもざわつかせているような子だったのだが。
そんな子が、貧しいながらも互いを労わりあう、じさまとばさまの会話を読んで、「ほっこりする」なんて言うもんだから。

彼の中の、少年らしい純真な部分がその言葉から垣間見えたような気がして、まさに「その子らしい」と感じた覚えがある。


少し話が逸れた。

ようは「書いたものはどんどん見せる」。
これは、おとなでも、「note」の世界でも言えることだ。
坂本さんの言葉を借りると、「発信すれば、言葉は勝手に羽ばたく」

この言葉を読んで、「note」にいかせることがたくさんありそうだと思ったのが、次の章の内容だ。


(2)「note」で記事を書くことにいかす

・すぐに書き出さない。

坂本さんは、「ひとこと」のキャッチコピーを生み出すまでに、思考9割。
ほとんど頭の中で考えているという。

その中で、「あ、これ使えそう」と思うような言葉の種も、書き留めないようにしているそうだ。

書き留めたくなっても、「深く」「刺さる」ひとことを求めるなら、書かないでおく。書きたい気持ちも、伝えるエネルギーに変えられるからです。

同書、p.65


わたしは「note」を書くとき、べつに深く刺さるひとことを追及しているわけではない。 

でも、「あ、これ書けそう」などと冒頭だけを思いついてすぐ書き始めると、最後まで記事が書けないことが多い。
ぐだぐだゴールを探しているうちに、書きたいエネルギーも収束してしまうのだ。 


実際に、今書いているこの記事も、ふんわり「書けそう」な段階で書き始めそうになって、やめた。

一旦、ノートに「私が書きたいこと、伝えたいこと」を順序だててまとめ、「書き切れる!」と思ってから、作成をはじめた。

そのおかげか、息を切らさずゴールまで書き切ることができた。
坂本さんのこの考え方は、「noteを書く」ときにおおいに役立ちそうだ。


・「共感」ではなく、「共鳴」を

「共感」ではなく「共鳴」を。
これも、「note」にいかせそうだ。

そもそも「共感」とは、誰かが発信したその行為そのものに「わかる」と同意することだ。
私もそう思う。
わたしもそれやりたい。
おなじ気持ち。

それに対して「共鳴」は、他者の考え方や行動に「いいね」をすること。
あなたの考え、すてき。
やっていることがすてき。


多様性の時代。
「みんなちがって、みんないい」の世界では、「おなじ」ではなく「この指とまれ!」の考え方の方が、ファンもつくし、たくさんの人に愛されるという。

「note」の記事も、発信する内容は「おなじ」なんかじゃない。
たまたま、「おなじ」ような内容だったり、似ている気分になれる記事もあるけど。
もっと多くの人に「その考え方すてきですね」と思ってもらえるような書き方を意識するだけでも、読み手が感じるものは変わってくるのではないだろうか。
ようは、「スキ」だと思ってもらえる機会が増えるのでは。

まだこのあたりは、探り探り。
でも私が書く時には、少し意識してみようかな。


・「自分ごと化」して読んでみて

本書のなかで、坂本さんが「自分ごと化」という言葉をあげている。
「自分ごと化」とは、言葉のとおり、自分のこととして考えること、自分だったら目線を持つことだ。

坂本さんは「寄り添う」というのは、この「自分ごと化」だと述べている。

相手の立場を「自分のこと」だと思って、聴く。
社会問題を「自分ごと」としてとらえて考える。

「自分には関係ない」だと、アンテナも伸びず、相手のことも分からず、情報も得られない。
なにも進まず、なにも生まれない。


この「自分ごと化」の目線を持って、この本を読んだおかげで、わたしは自分に重なる部分を見つけることができた気がする。

わたしはべつに、「コピーライター」になりたいわけでもない。
「ひとこと化」をしたかったわけではない。

キャッチコピーの作り方の本として読み、それだけで終わっていたら、たぶんパラパラと流し読みして終わっただろう。

どんな本も、出来事も、「自分ごと」としての目線を持てば、得られるものの幅が広がる。
そのことを身をもって知ることができた一冊となった。

「言葉」の力もあらためて感じている。
そして、「書くこと」のおもしろさも。

坂本和加さんのポップでキャッチーな言葉が並ぶ一冊。
ぜひ「自分ごと化」して、読んでみては。

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