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『休むヒント』から、ヒントをもらって。



「休む」って、何なんだろう。


昨今ブームの「休み方」「セルフケア」「ご自愛」などの文字を目にするたびに、「わたしも休むの下手だしなあ」と、流行の風に乗っかりたくなる。

一方で、「最強の休み方」「効率のよく自分を休ませる方法」とかを見ると、そのあまりの迫力に、違和感を覚える。

「最強」と「休む」。
言葉から受ける印象が、正反対だ。

「休む」っていうのはさあ、もっとこう、おだやかで、安らぎがあって、あたたかくて‥。



というところまで書いて、「いや、それだけが休むではないし‥」と考え込む。
おだやかな気持ちで休めないから、困ってるんだよ、と凹んでしまう。

「休む」ってそんなに単純なのか。
「休む」に対して、偏ったいびつな希望を抱きすぎていないだろうか。


そんなことを考えていると、ほんとにまったく、休まらない。
そんな時、出会ったのが『休むヒント』だった。


アンソロジーだと思っていなくて、開いた途端、たくさんのお名前におどろいてしまった。

『日記の練習』を読んだばかりの、くどうれいんさんや、日記エッセイの古賀及子さんもあるじゃないか、やったあ。
それから、『水中の哲学者』の永井玲衣さんに、わあ、益田ミリさんに、つづ井さんまで。


好きな順番に、読みに行く。
そんなふうに、どこから読んでも美味しい一冊。
たくさんの方の「休む」にまつわるエッセイは、同じテーマなのに、味が違う。

きっとどれかが、わたしの「休む」ヒントになる。
そんな期待をふくらませながら、ゆっくりと最初のページをめくった。





くどうれいんさん『ふぐの脱走』。
ご実家で飼っているふぐは、(ふぐって、飼うもんなんだ)よく脱走するらしい。
真夜中に、水槽のフタがわりのラップに向かって、何度も突進するのを目撃した、くどうさん。

くどうさんも「脱走」する。
忙しくて休むべきときほど、出かけていく。
好きな人に会いに行って、「疲れてるね」と言ってもらって、ようやく自分でも納得して「休もう」とおもえるんだとか。


なんだかちょっと、分かるかもなあ。
他人からの目線が、必要なときってある。
それも、心の底から信頼している、大好きなひとからのひとことが。
わたしが休むのにも、夫のひと声がほしい。




続いて、古賀及子さん『自分の時間を休む』

古賀さんは、家事育児が大変な時期、「自分の時間」を何とかとろうと、家事育児をやりくりしまくった。
でも、どうしても「自分の時間」を作れない。
「いまは無理だ!」とスッパリ諦めたら、肩の荷が降りたのだとか。


これも、わかる。
「自分の時間」を、無理やり生み出しても、罪悪感や向き合えなさで、いっぱいいっぱい。
ぜんぜん楽しめないんだよなあ。

古賀さんは、自分の時間をとることを「お休み」にした。
でも、子どもが大きくなった今は、バンバン自分の時間を楽しんでいる、って。
それを聞くと、安心する。




哲学者の永井玲衣は、この「休む」ブームに警鐘を鳴らす。
セルフケアとか、簡単にいうけど、「ケア」ってめちゃくちゃ大変なのだ。
自分のケアに疲れてちゃ、本末転倒って。
まさに、そう。

そう思うと、わたしは「休む」に、ちょっと必死になりすぎているかもしれない。
そんなに一生懸命、自分の時間を作ってまで、何したいんだろう、と我に帰る。

自分がやりたいことを見失っているせいで、なにも思いつかないのも確かにある。
でも、もしかしたらちょっと、この「セルフケア」ブームの輪の中に、とらわれちゃってるだけかもしれない、なんて。



ほかにも。
益田ミリさんの漫画では、あまりにも益田ミリさんらしい世界を味わいながら、一コマ一コマ、ゆっくり読んだ。
その時間そのものが、休まる時間だ。

つづ井さんのエッセイでは、「休む体力がなくなっている」という話で、「まさにそう!」とひとり盛り上がった。
「セルフサプライズ(自分で自分を少しだけ喜ばせることをする)」というナイスなアイディアも頂いたので、わたしもぜひ取り入れてみたい。
つづ井さんの体験は、妙にリアルで「あるある」とおもった。



知らなかった方の文章にも、出会えた。
「休む」の考え方にも惹かれたし、単に文章そのものに好きなところがあって、おもわず抜粋。

たとえば、滝口悠生さん。

でも、これは多分なのだが、散歩をしたり、掃除をしたり、バッティングセンターに行ったりすれば、誰にでも小説を書く手がかりは到来する。しかし小説家でないひとにとってそれは一瞬頭によぎった物思いとか思い出し笑いのようなもので、きっとその日の夜になればきれいに忘れてしまったり思い出せなくなってしまう。小説を書くようなひとだけが、それを仕事の手がかりとして忘れず持っておき、家に帰って机に向かい、どれどれとなにか書きはじめてみたりするのだと思う。

同書、p.111



それから、杉本裕孝さん。

なんだろう、この感じ。始まるまではわくわくする気持ちが無限大に膨らんでいって、始まってしまえばきらきらと空を駆ける流星のごとくあっという間に過ぎていく。終わったあとは、けれども以前の日常とはどこか異なる、そんな場所で、確実になにかを変化させた自分が日々をたんたんと、それでいてどこかういういしい心持ちで暮らしている。

同書、p.101


ほかにも、酒井順子さんの旅の話や、平松洋子さんのヨガの骸のポーズ「シャヴァーサナ」の話。
藤代泉さんの、育児と、休みと、生きることの話なんかも、こころ静かに読みきった。



「休む」って、ああ、「休む」って。
「休む」にも、いろいろな物語があるんだなあ。
なんだか、気が遠のいていく。

これだけたくさんの、それも各方面でご活躍の方やプロの方が、「休む」について、あれこれ悩み、もの思い、それでもひとつの正解には辿り着けないなんて。

「休む」の深さ、そして多様さ。
なにより、「休む」のその人らしさよ。


たくさんのヒントを得たと同時に、なんだか思いっきり、腕を広げたくなった。
息を大きく吸い込んで、頭を上に、目線は空に。
そして、深く深く、吐く。

わたしらしい、「休む」を見つけたい。

そのために。
まずは、しずかな深呼吸を、ひとつ。



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