サボるのに、「理由」はいらない。
高校の時、よくサボっていた。
それなりに、真面目な生徒だった。
でも、あるときから突然、行くのがどうしようもなく嫌になった。
親に休みたいなんて言えなかった。
そもそも、「理由」が分からなかったし。
何となく、やるせなくて、でもそれを上手く言葉にできなかった。
高校はそれなりに楽しかったけど、どこか胡散臭い気がした。
友人はいたけど、心底仲がいいと思える子はいただろうか。
居場所はあるけど、心は置けない。
やることはあるけど、やる気が出ない。
そんな毎日に、嫌気がさして。
2年生になると、わたしはよく遅刻した。
◇
遅れて行くには「理由」がいる。
正当な理由で遅刻するために、よく整体を予約した。
学生なら一回500円。
家から、徒歩20分くらいのところにある、小さな個人院だった。
高校とは、真逆の位置。
9時から営業開始だった。
わたしは、朝いちばんの時間に整体を予約すると、家から遅めに出発し、とことこ歩いてそこへ向かった。
施術してもらって、500円を払い、のんびりと歩きながら、高校に向かう。
たいてい、高校に到着する頃は2時間目か3時間目のあいだ。
「通院です」と言えば、先生からも、友達からも、特にツッこまれることはなかった。
今思えば、呆れられていたのかもしれない。
腰が悪いのは、ほんとうだった。
部活で重いものを持ち上げたとき、左の骨を痛めてしまって、それ以来一生腰痛持ちである。
その治療という名目だったが、いつのまにか、それはサボりの常套手段となってしまった。
母もたぶん、気づいていた。
でも、一切何もいわなかった。
だったらいいや。
誰も、何も言ってこないならいい。
わたしは、ただ、逃げたいのだから。
勉強勉強うるさい親からも、国公立国公立と暑苦しい学校からも、本当は別の部活に入りたかったのに、あきらめて適当に所属した部活からも、清くまぶしい同級生たちからも。
全部全部から、遠ざかりたかった。
でも、それには「理由」が必要で。
わたしが、わたしを納得させられるだけの、サボる口実が必要で。
それが、たまたま「整体」だったのだ。
とうとうマラソン大会までサボってしまって、さすがに罪悪感がめばえた。
わたしはマラソンが大嫌いで、高校一年生のときはうまく部活の大会と重なってサボれたものを、翌年は休む理由が見つからない。
わざと、腰痛の処置をマラソン大会に被せて予約し、母にはマラソンのことを黙っていた。
施術を終え、遅れてマラソン会場に入ったとき、みんなの顔を見て、やってしまったと思った。
誰も責めたりはしない。
「腰、大丈夫だった?」なんて言われるもんだから、「そんな声で、わたしに話しかけないでよ」と、どうしようもなくイライラした。
自分が大嫌いになったので、整体に行くのはそれっきりやめた。
けっきょく、その後の針治療で、腰痛はすっかりよくなった。
◇
サボって逃げないと、うまく生きられない。
中学生の頃から、そんなふうになり始めた気がする。
授業もちゃんと聞いたし、宿題もやった。
成績もそんなに悪くなかったし、委員や行事にも積極的だった。
部活も、一生懸命やった。
その、あまりに前のめりな生活に対して、バランスを取ろうとしていたのだと思う。
最近は、「書くこと」をサボっている。
書きたくない。
というよりも、書く気が起きなくて。
書いても、楽しくないのだ。
書いていると、つまんないことを書いている気がしてきて、イヤになって、手を止めてしまう。
以前は、隙間時間をうまく使っていたけど、最近は隙間もない。
子どもといる中で書こうとすると、ちゃんとまとまらなくてイライラするのだ。
携帯ばかり見て、頭が痛い。
俯いてばかりで、首が痛い。
しばらく、サボってもいいかもしれない。
代わりに、動画や映画を見たり、本や漫画を読んだり、夫と喋ったりする。
書くこと以外にも、やりたいことはある。
離れてみて、はじめてその「価値」に気づくことだってある。
サボるのに、「理由」はいらない。
正当な「理由」も、口実も、納得できるだけの「言い訳」もいらない。
そのあと、やめるのにも「理由」はいらない。
でも、やめたいわけじゃないのだ。
ただ、ちょっと、休みたいだけ。
そんなわけで、しばらくは書いたり、書かなかったりするかもしれない。
そう宣言しておいて、やっぱり明日から書きたくなるかもしれない。
わからない。
ただ今は、「サボるのに理由はいらないよ」と、わたしの背中をさすってやりたくて。