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夜中にパンを殴って、朝に焼く。
「パンを焼く人」にも、憧れている。
前回、「花を飾る人へのあこがれ」を語ったが、同じくらい「パンを焼く人」にも憧れがある。
おうちでパンを焼くって、いいよね。
朝起きて、家中に香ばしい匂いが漂って、食卓にホコホコのあったかいパンが並ぶ。
熱くて持てないくらいのできたてパン。
ちぎると、ほわほわほわあっ、と湯気があふれ、齧り付くと、素朴で優しい甘さが口いっぱいに広がって__
うん、良い。
このイメージどおりの朝を迎えたい。
実は3年前にも「パンを焼きたい」と思って、強力粉やドライイーストを買い込んだ。
パン作り自体は、子育てセンターで教わったことがあるし、なんとなく要領はわかるから、いけるっしょ、って。
子育てセンターでは、先生が軽量や焼成をやってくださっていた。
参加者は、生地を捏ねるだけ。
だから、パン作りの一から十までを自分でやったことは、一度もなかった。
そこだけが、不安だったのだけど‥。
3年前のわたしは、確実にパン作りを舐めていて、結局一回しか自力でパンを焼かなかった。
どんなパンを作ったか、覚えていない。
でも多分、リピートはなかったんだろう。
引き出しの奥から、3年前に消費期限のきれた強力粉とドライイーストを発見し、「ごめんなさいごめんなさい」と念じながら捨てた。
いや!今度こそ、やる!
わたし、「パンを焼く人」になります。
意気込みもそこそこに、今度は失敗しないよう、ちゃんとレシピ本を用意した。
これまた数年前に買って放置されていた『はじめてでも失敗しない 絶対おいしい!おうちパン教室』。
「初心者なら、切りっぱなしパンがオススメ!」とある。
ハイ、初心者です。それにします。
このレシピの良いところは、夜に生地をこねておき、冷蔵庫で一晩寝かせて発酵できるところ。
翌朝すぐに焼ける、無駄のない工程で、わたしでも無理なくできそうな感じがした。
◇
夜。
次男を寝かしつけたあと、早速パン作り開始。
まず、水と牛乳を混ぜ、ドライイーストを入れて、粉類を測り、全部混ぜる。
次に、バターと一緒に、こねこね。
この「こねこね」の部分だけは、子育てセンターでもう10回以上している。
「そこだけは初心者じゃありませんから」と得意な顔をして、こね続ける。
「こねる」と書くと、なんかコネコネと柔らかな感じがするが、実は殴っている。
本にも「グーパンチ」とある。
これは、生地への攻撃なのだな。
おらっ、うりゃ、という気持ちで殴る。
ベタベタだった生地は徐々に言うことを聞くようになり、まとまって、つるんとしてきた。
子育てセンターで教わった「生地の叩きつけ」作業をやってみることに。
生地の端っこをむんずと掴んで、まな板に強く叩きつける。
ドカン!
思ったより、でかい音がする。
‥これは、次男が起きてしまうか?
一瞬不安がよぎるが、生地をぶん回す方が楽しいので、やめられない。
ドカン!
ドカン!!
そういえばわたしは、IHコンロの上でこの作業をしているな、と気づく。
だから、音がでかいのか。
Xで、コンロがバキバキに割れた画像を見たのを思い出して、あわてて手を止めた。
生地はすっかり、まんまるになった。
これをタッパーに入れて、野菜室で寝かせる。
簡単でいいでしょう。
洗い物も少ないぞ。
ルンルンで仕込みを終え、長男の寝かしつけを終えた夫に「パン捏ねてん」と言うと、「さっきの殴る音は、それ?」と言われる。
「ストレスでおかしくなっちゃったのかと思った」と笑う夫に、文字通り「ふん!」と返した。
◇
翌朝。
さっそく生地を取り出してみる。
うん?思ったより膨らんでいない。
大丈夫かしら。
しかし、わたしは第一回目に失敗はつきもの。
おのれを励まし、オーブンを予熱して、生地を切る。
切っただけのパンを並べて、そのままオーブンに突っ込んだ。
180度で、15分焼く。
すぐに、ほんのりと甘い匂いが漂いはじめた。
夫が、くんくんと鼻をひくつかせた。
大丈夫、ちゃんと膨らんでる。
できあがったパンは、ほんのり茶色で、膨らんだ三角形は「おにぎり」みたいだった。
出来立てほやほやを夫がかじる。
「こういうの好きやわ」
わたしもかじる。
おお、素朴でしんみりする甘さ。
次男は、熱々すぎるパンにキレて食べなかったが、のそのそ起きてきた少食長男は、美味しいと言って二つも食べた。
__パンライフ、楽しいかも。
すっかり朝のほくほくタイムに癒されたわたしは、その日の夜も、また次の日も、パンを捏ねて、焼いた。
丸パン、塩パン、カレーパン。
塩パンは、家族全員に好評だった。
カレーパンは、中身が溢れてしまい、あろうことか次男のトイレの話が連想されて、「勘弁してくれ」となった。
しばらく、パンブームが続きそうだ。
甘生地とか、食パンとかもあって、順番に作っていこうとおもっている。
楽しみがあるって、良いことだ。
生地を捏ねているあいだ、わたしは「憧れの人」に近づけたような気がして、気持ちがふわふわするし、手を動かしていれば、余計なことを考えなくて済む。
わたしはただ、ドカン、ドカンと殴るだけだ。
パンを殴って、朝に焼く。
翌朝、しんみりと優しい味を食べたとき、「今日もがんばろ」と心がじんわりあったまるのだ。