書くかどうか悩むくらいなら、書こ。
書く、書けない。
書きたい、書きたくない。
そのバランスを、ずーっと探っている。
前にも書いた気がするけど。
やっぱり「書けない」のなら書かなくていいし、「書きたくない」なら書かなくていい、とおもっている。
無理した気持ちは、必ず文章にもあらわれる。
無理していると、心が疲れる。
明確な「できない」「したくない」の気持ちがあるのなら、しなくていい。
楽しくないから。
ただ。
書くかどうか悩んでいるなら、「書く」を選んだほうがいいとおもう。
やるかやらないかで悩むくらいなら、やっといた方が気分がいい。
この歳になって、ようやくそう思えた。
わたしはどんなときでも逃げ腰で、苦手なことからはすぐに逃げてしまう。
それなのに、逃げたことを後悔し、逃げた自分を責めてしまう。
それなら、とりあえずやった方がいいのだ。
その方が、気がラクなのだ。
たとえ、うまくいかなくても。
例えば、わたしの場合。
仲良くもない人との集まりは、苦手だ。
今まで何度も、断ってきた。
でも、「行った方がよかったんかなあ」と悩み出すと、けっこう心がうじうじする。
それならとりあえず、「行く」方が良い。
行ってみると、案外楽しめたり、どうにかなったりもする。
行っても楽しくないかもしれないけど、行ったという「事実」を持って帰れる。
行かなかったら、「行かない」選択をとってしまった、ひ弱な自分を慰めきれない。
「書く」ことも、いっしょだ。
迷うくらいなら、やる。
毎日書くか、書かないか。
今日は投稿するか、しないか。
この記事は、出していいか、悪いか。
ウロウロと悩むくらいなら、とにかく書いて投稿する。
なんでもいいから、とりあえずする。
そのほうが、自分を保てるから。
◇◇◇
じゃあなんでもいいから、毎日テキトーなもんをこしらえて、投稿すれば気分がいいのか?
それも、なんかちがうんだよなあ。
悩むくらいなら、書いて投稿するのがいいとはおもうけど。
自分が納得いかない内容のものを、とりあえず投稿するのは、イヤなのだ。
投稿には、読む人がいる。
だれかが読むかもしれないものに、テキトーなことなんて、できないよ。
だれかの目に晒されることへの「責任」を忘れることはしてはいけない。
こうなると、結論が難しい。
悩むくらいなら書いて出す方がいいけど、テキトーなもんをこさえて投稿し続けるのもよくない、ということになる。
ほどよいバランスが、難しい。
いい具合の「書く」を探している。
あれこれやって、模索中。
毎日書いたり、いろいろ書いたり、書くのをやめたり、休んだり。
ここ最近は、ちょっと間が空きすぎた。
「noteを書く」から、遠ざかりそうだ。
だから、あわてて、走りよる。
そのためにとりあえず、書いている。
離れた要因は、いろいろあって。
自分の時間が減ったとか、体調不良とか。
でも、もしかして飽きた?とも疑う。
人間、同じことの繰り返しは飽きる。
ずっと自分のペースで、自分の書きたいことだけ書くということは、「縛り」がなさすぎて飽きるのではないか。
新しいチャレンジが必要なのかもしれない。
刺激を探しに、出かけなければ。
というわけで。
支離滅裂になってしまったが。
今は、noteから離れそうな自分を引き戻す期間。
思いつきの「書く」も、よしとしよう。
一生、「書く」と付き合うためだ。
程よい距離を、探し続ける。
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