あれ?なんにも出てこない。
空っぽの瓶にでも、なった気分だ。
書きたいことも、書きたい言葉も。
何ひとつ、わいてこない。
手が止まる。
しばらく、黙ってパソコンの画面を見て、それからなにもない壁を見つめた。
なんにも、出てこない。
わたしが記事を書くときには、たいてい「問い」や「課題」からはじめる。
「自分って何だっけ?」
「noteの書き方で悩んでいること」
「長男の発言から深めて」
「ふと思い出した過去のできごと」
こういうところから、「きっかけ」を見つける。
深めていきたいとおもえるような「きっかけ」を、ひとつ。
そこから、記事がはじまっていく。
ほとんどの場合、すぐ見つかる。
一日のなかで、いくつかその「きっかけ」になりうるものをメモしているので。
いざ書く時間がとれたら、そこから選ぶ。
メモしたときは、「いい感じ」だとおもっていたのに、見返してみると、「は?」みたいな拍子抜けを食らうことも多いけど。
それでも、書こうとおもったらじゅうぶん書けるし、1500字くらいのまとまりにはなる。
あとはそれを、記事っぽくしていく。
そうやって、日々の記事は続いていく。
しかし。
今日という今日は、書きたいことが出てこない。
すでに、ふたつほど記事を書きかけて、やめた。
1000字は軽く、こえていたのに。
「何書いてんだ?」と我にかえったのだ。
こうなると、とたんにやる気がうしなわれる。
記事を書く熱が、冷める。
つまらなくなる。
それでも、書き続けようとおもえばたぶん書けるのだけど、それだとわたしの心が「つまんなさそう」なので。
そういう時は、いさぎよくやめる。
もっと、楽しいこと、探そうっておもう。
でも、「おもう」だけだと、なかなか次の「書こう」は見つからない。
けっきょく、手を動かすしかないのだ、とガックリする。
書いて、書いて、「ちゃうな」と後戻り。
そうやって手探りしながら、「これ書きたいか」と心底おもえる「きっかけ」を、地道に探していくしかないのだった。
◇◇◇
「書きたいことがない」というのは、「書くことがない」とはちがう。
「書くこと」は、山のようにある。
一日をふりかえったら、それだけで「きっかけ」は10個くらい見つかる。
昨日読んだ本、聴いた音楽、さっき見た記事、寝る前に夫が言ったことなど、そこから書き始めても、2000字なんてあっという間だ。
記事になりうるようなことは、そこらじゅうにゴロゴロと転がっている。
でも、それが「書きたいこと」かといえば、ちょっとちがう。
わたしが今、寝る前に、ノートパソコンの前に座って、「書きたい」と心からおもうようなことって、なんだろう。
頭の中や、心の中、携帯メモを探ってみるけど、見つからない。
ほとんどの場合、すぐに見つかるのだけど。
ときどき今日の夜みたいに、見つからないまま、「書いて⇒消して」をくりかえす日だってあるのだ。
でも、なにか書きたい。
「書くこと」に悩むと、いつも古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』にもどる。
わたしの「書く」のルーツ。
「note」に出会わせてくれた、原点の一冊だ。
目次を眺め、「書けないときはどうするんだったっけ?」と、「きっかけ」になるようなものを探してみる。
この本は、日記を書けない主人公タコジロ―に向けて、ヤドカリのおじさんがヒントを与えてくれる。
もちろん、読者のわたしにも。
うーん。
わたしは今日、なにかを思ったり考えたりしたっけ。
いや、してない。
そういえば今日は、そんな時間はとれなかった。
ひさしぶりに、長男と遠出した。
帰宅後は、次男と過ごし、先ほどようやく寝かしつけて、ここに座ったところだ。
「ひとり」になったのは、ついさっきなのだ。
だれかと一緒にいると、「自分」ではいられなくなる。
「自分」だけで考えて、自分だけに問いかけることができなくなる。
まさに、今日はそんな日だった。
そして、ようやく今、ひとりで考える時間を持ったところだ。
そうか、そうか。
わたしは今日、「まだ」ひとりで考えていなかったのか!
だから、何にも出てこないんだ。
ほんとうに、空っぽの瓶だったのだ。
今から、それを満たしていくのだ。
今から、やっと考えるのだ。
それが、今日のわたしが「書きたいこと」だったのか。
本を読みながら、ストンと腑に落ちた。
◇◇◇
まわりくどい道を通って、当たり前のような答えにたどり着く。
そんなことをしながら、何だかんだ今日の分は書けた。
今日のわたしは、「note」とか「書くこと」について考えたかったようだ。
「育児」を書きたいわたし。
「夫婦」を書きたいわたし。
「わたし」を書きたいわたし。
いろんな種類の「書きたい記事」あるのだけど、今日はどうやらコレだったらしい。
書きたいことがないと、すごく焦る。
空っぽになったみたいで、心細い。
でも、それは「まだ」空っぽなだけで、今からそこに注げばいいだけだ。
いったん「考える」時間を取るのだ。
それが済んだら、おのずと「書きたいこと」はカタチになって浮かんでくるから。
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