音 アリス(Alice.O)
毒親育ち、虐待、DV親から脱出した私の体験と復讐記。 どうか自分を責めないで。 過酷な環境から生き延びたサバイバーの私。 どうやって自分の心も体も自立させてきたか心の経緯。
マシンガントークでいつも明るい奥さん。 「うん」で話を聞く旦那さん。 毎回、奥さんの話や行動に驚かされることしばしば。 悲しい過去がありながらも夫婦を続ける2人のお話。
青春をこじらせて人生の時間を過ごしてしまったおばさん。 高校生や学生のカップルを見るとつい、後をつけてしまう衝動にかられるほど。 そんなおばさんの楽しみは、1日に動画やドラマ、映画を観ることに3時間ほど費やすこと。 最近「恋愛ドラマ」がみれなくなったおばさんは…
珈琲豆を挽き、一滴一滴のしずくがまるで瞑想のような世界。 豆を挽く。滴をためる。小さな波紋が広大な宇宙につながり、人間という私の体を駆け巡る。今日の豆はどこの世界から?
超短編。全5話 毒親・虐待サバイバーの半生記。
なりたくてなったわけじゃない精神的病。 それを知ろうともせず、精神科の薬だけ飲んでるならセーフ。入院ならアウト。 知らないから不安や恐れを抱くのもわかるが犯罪者じゃない。 自分の無知を差し置くなよ。 普通とは?みんなと同じなら大丈夫なのか? (「#精神科ナースのダイアリー」感想)
ある脚本家が言ってたんです 飛び降り自殺をしようとする瞬間でも 続きが気になるような面白いドラマを書きたいと あのドラマの続きが気になるからとりあえず生きていようって 「今日もあなたに太陽を〜精神科ナースのダイアリー」より
メイクアップアーティストになるという知人。 私がモデルになり練習台になったある日。 何度か会う中、昔の話になった。 中学生の頃だ。 お互い「いじめ」にあった過去があり お互いそれを少しばかり「過激」に解決した 経験を持っていた。 知人は 「昔、掃除の時間だったかな。 いじめる奴らを前にして、モップを振り回したんよね」 ブンブン振り回し、窓ガラスから何から そこにあるものを破壊したらしい。 「らしい」というのは、 その時の記憶がなく、気づいたらそうなっていたと言うのだ。
涙の意味。 悲しみの涙より、悔しさの涙が多かったような人生…
「決定はほんの一瞬で下すのではなく、これまで生きてきた時間を基に下される。 なので、誰かが下した決定は、その人の今までの人生 今後どう生きていくかを物語る」(ナンバーズ-ビルの森の監視者たち)
怒るべき時に怒り、怒りを表明しないとナメられる。「 わたしの夫と結婚して」より。ドラマのセリフが突き刺さる。 今日から少しずつ、ドラマのセリフをつぶやいていきます。
デジタルとアナログ。これが1番とは言わない。 デジタルもアナログも便利で不便で愉快で不愉快。 どちらも時に応じて使いこなすのが、1番楽しい。
その悔しさで言葉が溢れ息ができないほど悔しさの言葉で脳内が溢れてしまう。 今ならたくさん返せる言葉があるのに、なぜあの時言えなかったのだろう 飲み込んでしまったから、今頃苦しむのだ、
はじまりは、ケーブルテレビで海外ドラマに映画をみることから始まりだった。 15年以上前くらいのお話だ。 それでも飽き足らず、ケーブルでは遅い海外ドラマの新作シリーズがリリースされる前の晩。 レンタル屋へと並ぶことしばしば。 (バカ正直に新作リリース日の朝一行っても、新作レンタル棚はカラ! どういうことかと探っていると、 リリーズ前日の夜、店員がもうすでに並べているではないか!! そして、それをすかさずレンタルする客の図。 ふざけるなっ、と心で叫びつつ前日に行くそんなおばさん
退院後のある日主治医から 「突然お母さんから電話があったよ」 と言われた。 私が入院していることは言ってない。 私のパートナーから連絡がいったらしい。 パートナーは、一応「親」だから連絡をしたという。 しかし、先生の話を聞いて言葉がでなかった。 「私、母親です。娘はどうなんですか? どれくらい入院するんですか?重いんですか? 母親なんですから教えてください!」 それを主治医の口から聞き、私は唖然としてしまった。 しっかり日本の法律で「個人情報保護法」が 定められている時
「先生、私。本当に弱い人間なんですね。こういう病気になるって…」 遠くのどこかを見てため息交じりに 弱々しく吐いた。 すると、主治医はこう答えた。 「弱かったらここに来てないでしょう」 意外な答えだった。 この言葉は2院目の診療内科で言われたことだ。 あ、そうそう。 私の人生の中の23年で、 心療内科2院 精神科1院 ご厄介になっている。 「弱い人間なら、ここに来る前に死んでるよ。 よくここまで生きてこられました」 主治医はまっすにぐに私をみて言った。 私は言葉がでな
私はサバイバーだ。 がんサバイバーは聞いたことがあった。 がんの宣告から治療をし生存し続けている人々と理解していた。 それに加え、戦場から生き残った人間のことを指して言う言葉とも。 生存者である。 生き残りである。 つまり「死」がそこにあったということだ。 誰よりも近くに。 もっというなら、死んでもおかしくなかったが生き残った者と言った方がいいだろうか。 このサバイバーと私は同じ立ち位置になるらしい。 私の戦場は 虐待とDVという暴力の日常だった。 家から一歩出るとき
サバイバーとして生き残った理由の一つ。 それは、私に「聖域」と呼べる居場所があったからだろう。 「仏壇」だ 先祖代々とか檀家とかそういうものではない。 一応、両親は宗教団体に属していたが活動なるものはしていなかった。 強制されたわけでないが、幼い私には心落ち着く唯一の場所だった。 神社・仏閣ではなく、家にある仏壇の曼陀羅に惹かれた。 墨で書かれた大小の文字が躍っているように私には見えた。 そこだけ空気が違うのだ。 人類に救いを求めることはできなかった。 血のつながった親
父親は嫌いだ。 母親はもっと嫌いだ。 勝手に生んで、 勝手にこの世の中に「私」という人間を登場させた親に感謝などするはずもない。 こんなことをどこかで誰かが言っていた。 「親も完全じゃないから」 だれも「完全」を求めていない。 寄り添ってくれる人間を求めている。 それが、この世で親が子供にはたすべき役割だと思っている。 親が「友達」になるのもおかしい。 その名は、子供と共に成長した親が後々獲得する別名だ。 聞いた話。 両親ともにいるからいいじゃないか。 うちは父親が早く