サンクチュアリ
サバイバーとして生き残った理由の一つ。
それは、私に「聖域」と呼べる居場所があったからだろう。
「仏壇」だ
先祖代々とか檀家とかそういうものではない。
一応、両親は宗教団体に属していたが活動なるものはしていなかった。
強制されたわけでないが、幼い私には心落ち着く唯一の場所だった。
神社・仏閣ではなく、家にある仏壇の曼陀羅に惹かれた。
墨で書かれた大小の文字が躍っているように私には見えた。
そこだけ空気が違うのだ。
人類に救いを求めることはできなかった。
血のつながった親に対して信用ならないのだ。
あかの他人なども同様だ。
どうもそのあたりから、私の中に「信仰心」というものが目覚めたようだ。
今でこそ、その言葉が当てはまるが当時は何とも形容しがたいもので。
ただ心から信じられる「何か」を幼心に感じただけだった。
親の庇護の下から逃げられないのなら、自分を守り心から安心できるものが欲しかったようで自然とその曼陀羅に手を合わせるという行為が始まった。
「祈り」だ。
祈ることで、随分私という人間をこの世に立たせてくれたように思う。
7歳だった。