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子どもの「やめて」も大人の「やめて」も大事にする【子育てエッセイ】
「やめて」と言われたことはすぐやめる。
これは、神田家の絶対のルール。
当たり前のこと、と言われたらそうなんだけど、でも、大人も意外と「やめて」と言われたことをやっていたりするから気を付けた方がいいと思っていて。
例えば、子どもたちと親のコミュニケーションの一環のこちょこちょ。子どもが笑いながらも「やめて~」と言っているのに、やり続けてしまうことってない?
実は、我が家も「子どもが笑っているから」という理由でやり続けてしまいがち。だけど、子どもたちがしっかり意思表示をするようになった最近は「やめて」と言われたことはすぐやめることを意識している。
今日のnoteはその理由について書いていく。
なぜ「やめて」と言われたことはすぐにやめることを徹底しているのか、それは自分の「やめて」も人の「やめて」も大事にしてほしいから。
自分の「やめて」を大事にされた子どもは、人が「やめて」と言ったことを尊重できると思っている。
もし、自分は遊びでじゃれているつもりだけど、相手が「やめて」と言ったのなら、楽しいのは自分だけで相手はそうじゃない。
もし、自分は楽しく水遊びをしているつもりだけど、相手が「やめて」と言われたのなら、相手は水遊びが好きじゃないかもしれない。
もし、自分が使いたいから手を伸ばした黄色のクレヨンに、相手が「やめて」と言ったのなら、相手も黄色のクレヨンが使いたいのかもしれない。もしくは、今使っていたのかも。
人によって「やめて」のポイントは異なる。
それを当たり前のように知ってほしい。
人の「やめて」も相手の「やめて」も尊重されるものだと思えるように、日々子どもたちと関わっている。
具体的には、
「叩いてしまう前に、やめてって言おうね。」
「やめてって言われたことは、絶対にやめるよ。」
「ちびちーちゃんのやめてとちびにーくんのやめては同じ時もあるし、違うときもあるよ」
「やめてを聞いてくれない時はすぐにママやパパに教えてね」
と伝えている。
この繰り返しが、回りまわって、我が子たちが誰かに嫌な気持ちになったときに「やめて」と言える強さになると思っている。
自分が発した「やめて」を尊重されないコミュニティに違和感を感じられるようになる。
そう思っているから。
我が家は、
やられて嫌なことは「やめて」と言うこと。
「やめて」と言われたことはやめること。
この2つをとても大事にしている。
明日もいい1日になりますように。
(明日はけんかが少ないといいなぁ)
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