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できないことをできるようにする姿がカッコ悪いわけない【子育てエッセイ】

大人になってから、できないことを改めてできないと認めて、できるようにするために頑張ることが怖かった。
なんだか恥ずかしいような、カッコ悪いような気がしていた。

その気持ちが粉々に砕かれたことがあった。

生後10か月の第二子ちびにーくんが1日中つかまり立ちから一人でたっちに、そしてあんよに挑戦している姿だ。なんど転んでも起き上がる。それも楽しそうに。いきいきと。



赤ちゃんがねんねしかできない状態から、一生懸命練習して寝返りができるようになる。おすわりができるようになる。はいはいをするようになる。つかまり立ちをする。たっちができる。あんよができるようになる。
その挑戦している姿、頑張っている姿を見て、私はなんて思っていたか。大人はなんと思うだろうか。

それは、「頑張れ」という応援だったり、
「次はできるよ」という励ましだったり、
「頑張っているんだね」という認める言葉だと思う。

一生懸命な赤ちゃんに「そんなこともできないの?」なんて言う人はきっといない。それなのに、私は大人だからといって、極々少数の人の目を気にしてびくびくしていた。

いつの間にか「できないんじゃなくて、やらないだけ」と格好つけるようになってた。その裏側には、「30歳を過ぎたのに、こんなことも知らない/できないなんてと思われたらどうしよう。」とか、そんな気持ちがあった。実際そんなこと思う人はいないのにね。そんな人は私の想像でしか存在していない。


ちびにーくんを見ていたら、「できないことをできるようにしたい気持ちは人間の本能」だと思ったんだ。


できないこと、やったことがないことに果敢にトライしていくのは、まだまだ理性が育ってなくて本能で生きている赤ちゃんや子どもが多い。だから、人間の本質には、できるようになりたい気持ちがあると思う。

成長するにつれ、社会性が育つ。仲間の中で「できないと思われたくない」とか「カッコよく見せたい」とか他人の目を考えるようになる。そうして、だんだんと新しいことへのハードルが上がる。失敗やできないことが怖くなる。

でも、本質的なところには、「できないことをできるようになりたい気持ち」がきっとある。

今、私ができないことを再認識して、改めて挑戦する意味は、きっとそれが「本能」で「自然」なことなんだと思う。



今日も重力に負けじと立っちして、歩こうとする10ヶ月の背中はカッコイイ。

私も負けないぞ。



明日もいい1日になりますように。



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