広島再訪
青く澄んだ空の下、観光客がカメラを向ける先に、”それ”は凛と立ち、私たちを静かに見下ろしている。
喉が詰まる感覚に言葉を失う。何度見ても変わらぬその姿に、畏怖の念を抱かずにはいられない。
1945年8月6日午前8時15分。
原子爆弾「リトルボーイ」は多くの日常、未来、全てを破壊した。
広島に対して特別な感情を抱くようになったのは四年前。中学の修学旅行で広島を訪れた時のある出来事に起因する。
平和学習の集大成として、広島平和祈念資料館を訪れた。原爆被災後の広島や被爆者を記録した一角には、焼け爛れた皮膚や、原爆病に苦しむ子供達の姿が壁一面に並んでいる。写真や遺品を見ても、実際に起きたこととは思えず、日本で起きたこととは到底思えなかった。ぼんやりと「怖いなあ」なんて他人事のように思いながら見ていた。
その時、突然横からゴン、という鈍い音とキャッと小さい悲鳴が聞こえた。
振り返ると、少女が倒れていた。白い肌に金髪の、年齢でいえば7歳ぐらいの小さな女の子。悲鳴は少女のお母さんのものだった。一気に不安感が押し寄せる。聞き取れない早口の英語にざわついた館内。駆けつけた職員と両親によって外へ運ばれていく少女を目で追った。少女が見ていたのは、「死の斑点」が顔に出ている、虚な目をした少年の写真。
今もなお、少女の姿が脳裏に焼きついて離れない。少女が受けた衝撃はどれほどのものだったのだろう。
2023年5月19日。G7首脳等による平和記念公園訪問が行われた様子をニュースで見て、あの少女の姿を思い出した。
広島に行かなければならない。突き動かされる感覚のまま、今年の春、広島を再訪した。
原爆ドームは四年前の記憶のまま、何も変わらず静かに私を見下ろしていた。四年前と違うのは、明らかに外国人観光客が増えている、という点である。というよりは、外国人しかいない。ここは日本か?と困惑するほどに聞こえてくるのは異国の言葉ばかりだった。
原爆ドームから広島平和祈念資料館に向かう道、何やら人だかりが見えたので近づいてみる。外国人観光客の取り囲む先には、自作の資料を広げ、流暢な英語で懸命に広島の歴史と平和を訴える日本人の姿があった。時折質疑応答を交えながら話す英語能力の高さに驚きつつ、「被爆地 広島」に海外から強い関心が寄せられているのを実感した。
外国人観光客の波に流される形で平和記念資料館へ。若干の懐かしさを感じながらゆっくり館内を回る。4年前とは違い、戦争の残酷さに心が痛む。資料に残る悲劇の密度の濃さに圧倒され、心に錘をつけられたように苦しさを抱えながら歩く。館内は写真撮影が可能だが、誰も写真を撮ろうとはしない。立ち尽くし、言葉が出ない、といった様子の白人男性や、体調が悪いのか、足早に進んでしまうアジア人女性の姿もあった。
原爆資料館の一角には、展示をみた感想や平和への思いをしたためる「対話ノート」が置かれている。ペラペラとめくってみると、「never again」という文字が何度も目に入ってくる。核の脅威が現実味を帯び、戦争について考える機会が良くも悪くも増えてきた。悲惨な歴史は、今後平和を維持していく理由になるのではないか。唯一の被爆国である日本は世界に何ができるのか。世界の人々が今、広島を訪れる理由とは。そんなことを考えながら、広島を後にした。(文・写真 西村玲愛)