縄文土器という希望
縄文土器とは、エポックメーキングな道具です。時代の名前になっています。現代、平成の時代は、ケータイ時代、スマホ時代でしょうか?そのような感じで時代を変えた画期的な道具が縄文土器なのです。縄文時代の前後でその時代の人の生き方を変えた道具なのです。
縄文土器以前と以後ではさまざまな生活スタイルが変化していきました。環境の温暖化により変わった縄文世界を土器で切り開いていった人々が縄文人なのです。
縄文土器とは
縄文土器は、日本列島内ではじめて使われた土器の総称です。縄文土器という名称は、1877年、エドワード・S・モース氏が発掘した、東京都の大森貝塚より出土した土器を「cord marked pottery」と報告されたことに由来します。
縄文土器には、縄文、つまり、縄を押し付け転がした跡が付いています。しかし、2021年現在、出土数が増え、必ずしも縄文がついたものばかりではないことも分かりました。
奥三面遺跡群元屋敷遺跡出土の深鉢形土器(縄文時代晩期)
はじめの縄文土器は、煮炊きする道具でした。今でいう土鍋です。土器の発明により、トチノミやドングリなどの下準備、アク抜き、ゆでる調理という新しい食材を手に入れることができました。縄文土器の登場が新しい時代をつくったのです。
縄文土器の特徴
縄文土器には、深鉢、鉢、浅鉢、注口土器などがあります。大きさや形、機能から命名されています。土器の各部位は、人体に見立てられ、土器上部から口縁、頸部、胴部、底部と呼ばれています。
縄文土器に特徴的なのは、縄文という下地に施された文様です。この他にも、突起、渦巻文、入組文などの独特な文様が施されています。文様は、時期、地域でことなります。
奥三面遺跡群元屋敷遺跡出土土器の入組文(縄文時代後期後葉)
また、文様が施されたもの(精製土器)と縄文のみ、または、無文のもの(粗製土器)に分かれます。特別な場合に使う精製土器と普段使いする粗製土器というように考えられますが、ススやオコゲの付き方から必ずしも使い方に区別がなかったとする考えもあります。
他に、文様帯という考え方があります。帯のように土器の特定の部分に文様が施されているからです。この文様帯が狭くなったり、広くなったり、出現したり、消滅したりと文様帯の組み合わせが変わることで、地域性や時期を特定できたりします。縄文土器研究者はどの文様が土器のどの位置にあるか、文様帯の幅といった変化の組合せで細かい時期を決めています。
奥三面遺跡群元屋敷遺跡出土土器の羽状縄文(縄文時代晩期)
最後に、縄文土器の最大の特徴である縄文について。縄文は、紐をよりあわせて作った縄を土器の器面にころがして、文様とするものです。このよられた紐を縄文原体と呼びます。左下がり、右下がり、よられた回数、棒に巻きつけるといったさまざま方法で縄文は表現されています。器面の凹凸をならすために行われていたことがさまざまなバリエーションを持つようになったと考えられています。
縄文土器にこめられた思い
縄文は、しめ縄などと同じく、ヘビを象徴しているのではないかとする説があります。脱皮するヘビは不死、よみがえりを連想させます。また、人類をその毒で苦しめると同時に食料たりえることから命の象徴であったと考えられます。そのような命の象徴を模した縄文を調理道具である土器に施したというのは、縄文人の命への思いが込められていたことが想像できます。
奥三面遺跡群前田遺跡出土の火焔型土器
氷河期がおわり、環境、植生が変り、その中で、新しい食料を獲得するために土器を発明しました。土器で食べられるようになったドングリなどの木の実は、それまでの広範囲の移動生活ではなく、一定の範囲内で生活する定住へと生き方を変えていきました。定住のためにしっかりとした建物である竪穴建物、掘立柱建物をつくりました。建物をつくるための木材を効率よく切り出すために磨製石斧がつくられます。そして、越冬のために貯蔵穴、共同の活動場所の広場、お墓ができて、環状集落となっていきます。
縄文時代は、変化する生活環境に適応した時代でした。そのはじまりに土器がありました。だからこそ、縄文土器を使った時代、縄文時代とされました。縄文土器こそが日本列島にいた人々に新しい生活へと向かわせた生きる希望だったのです。
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