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わからなくていいこと

久々の投稿となりますね。なんてったって書きたいこともなかったし、忙しくてネタを見つけている時間もなかったし、真剣に考えなければいけない課題もなかったのです。何も考えずに時間が過ぎていくのは幸せなことなんですね。向き合わなければいけないことに直面してしまい、その幸せを噛みしめています。


さて。


村上春樹の『螢』という短編小説をご存知でしょうか。『螢・納屋を焼く・その他の短編』の中で一番初めに登場する作品です。読み終わってからの感想を一言で述べるなら、モヤット。モヤットボールを投げたくなるくらい、モヤット。まあ不明瞭な点が多いこと多いこと。主人公の「僕」も作中で”わからない”という言葉を使いまくっているのです。

何がそんなにわからんのよ、と。読んだ方にはわかると思います。わからないんです。だって、この作品のテーマはおそらく「死」だから。主人公である「僕」は高校生の頃に仲の良い友人を失います。何の前触れもなく、彼は自殺してしまったんです。その友人には恋人がいて、「僕」と友人とその恋人の「彼女」は三人で遊ぶほどの仲でした。友人を失くした「僕」と恋人を失くした「彼女」が残された者として「死」と向き合う。そんなお話です。

生と「死」の関係に気が付く「僕」と、自分の気持ちを思い通りに表現できない「彼女」。物事を深く考えることを避けるようになった「僕」と、「死」を受け止めようとしているであろう「彼女」。誰がこの二人に明確な答えをあげられるのでしょうか。人はどうやって「死」と付き合っていかなければいけないのでしょうか。


私事にはなりますが、数か月前に身内が余命宣告を受けました。最近になってそれを聞かされたのです。自分でも驚くほどに、冷静にそれを受け止めました。頭でしっかりと理解しました。でもきっと、急に視界に入ってきた「死」に、心はまだ追いついてないのだと思います。いや、どんなんでしょう。心は「死」をわかっているのか、わかっていないのか、わかりません。私は今、毎日自分が何をするべきかを考えて生きています。それはきっと頭の中に「死」があるから。避けることはできないし、避けてしまったら間違いなく後悔する。


「死」というものが身近になった今、「死」が生きている者に与える問題に明確な答えがあるとは思えません。「死」がすぐそこまで来た時どうするか、どう受け止めるのか、そもそも受け止められるのか、そもあとの未来は。わかっていることなんて一つもない。この作品を読んで、「死」に対しての不明瞭が肯定された気がしました。

「僕」が同居人からもらった螢の光の弱々しさが表していたものは何だったんでしょうね。命の儚さか、「死」の不明瞭さか、それとも「僕」と「彼女」がそれぞれ選んだ道の先にある小さな希望か。




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