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【ほんだな】子どもの世界

子どもの世界というのは実にあやうい。
小学校、中学校の時を思い返してみれば、学校の人間関係がほぼすべてであり、最優先されるべき世界もそこだったと思う。「学校は小さな社会」とはよく言ったもので、子どもなりの大事な価値すべてがそこに凝縮されているんだ。

大人からしてみれば、「学校なんて世の中に比べたら限られた狭い世界なんだから、そんな小さなことで悩む必要ないよ」と慰めの言葉のひとつも掛けたくなるだろうが、子どもは世の中のことなんて認識の範囲外。子どもにとっての世界は同居している家族と身近な友だちのみ。狭い世界だからこそ、他に逃げ場がないというか、そこが崩れた瞬間に世界が終わるんだよね。終わらせないためには、妄想でも何でも使えるものは使って、自分の精神を防御するしかなくなる。
もちろんここでいう「妄想」は大人から見たらそうだというだけであって、子どもにしてみれば大人の「解釈」は意味をなさないが。

そういう意味では、セーフティネットはやはり重要だといわざるを得ない。教習所だって、仮免練習中の初心者ドライバーには教官がフォローしてくれるでしょ。あぶなければ隣でブレーキを踏んでくれるし(もちろん、そのあと怒られるけれど😅)。子どもは臨界点を超えると簡単に折れる可能性があることを周囲がしっかり認識したうえで、ギリギリのところでいざとなったら手を差し伸べられる環境は必要だと思う(最初から手を差し伸べるのは成長を阻害するだけなので賛成できないが)。
それをせずに、千尋の谷に突き落とす方式を教育と呼ぶのなら、ちょっと違う。野生動物の世界なら、崖を登ってこれなかったら死に絶えるだけだし、運命として許容されている。生死が隣り合わせの世界。自己の朽ちた肉体は他者の生への糧となる。でも人間社会はそういうふうにはできていない。

以前に人材育成のセミナーに参加したとき言われたことがある。
部下の成長を促すために、上司は部下に仕事を任せ、余計な口出しをせずに部下があれこれしているのをじっと我慢して見守る必要がある。でも、あまりに迷走しているのでつい口を挟んでしまう。おれが自分の経験を交えて講師に問いかけたところ、返ってきた答はシンプルだった。
「それは、あなたが部下を十分にトレーニングしていないからでしょう。できる状態にまで仕立ててから、仕事を任せ、見守るべきです。実力が不十分なままの相手に仕事を任せるのは無責任ですし、それを丸投げといいます」
もちろんもっとやんわりした言い方だったけれど、詰まるところ、こういうことよね。
大人が自身の役割を拒否し、怠慢なまま子供に成果だけを求めているとすれば、ある意味、安易な自己責任論にも通ずるものがある。

シビアな環境にいる子どもはゼロにはならないんだろうけれど、周りの大人たちがバックアップして一人前のドライバーになれるよう導いていく。苦労は、大人になって公道デビューしたらいやでもするわけだし。仮免練習中に必要以上のプレスをかけるとか、あおり運転とやっていること大差ないからね。それはダメだわ。自分も肝に銘じなければ……。


これは何かしらの文章に触れたことをきっかけに、頭に思い浮かんだことをつらつらと書き連ねたものです。
原本と文中の内容は一切関係ありません(いや、少しはあるかも)。
書評でもありません(これはホント😆)。