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最近思っていること

最近思うことを書く。
何も進展がないと感じている。思考は右往左往している感じがする。じっくり考えていると一番最初の地点に戻される。
他人と比べてしまう。これもよくない。過去の自分の態度とか発言の反省会をたくさん開いて嫌な記憶を何度も反芻してしまうのもきつい。
そうやって自分を叱るうちに何もする気が起きなくなってまた何もしない一日を過ごして自己嫌悪になる。
自分を叱っても意味はないけど、少なくとも他人から叱られる前に自分で叱った方がいいかなって。まだましかなって思ってしまう。
実際に他人がどう思っているかなんてわからないのにね。
私の存在価値がわからない。いない方がいいじゃんって思う。
そういうマインドもやめたい。他人に雑に扱われてしまうから。
自己肯定感欲しい。何もストレスがないのもストレスの原因だから私がいることによって他人を不快にすることができるからそれによってたくさんの人を不快にして、「ストレスが何もなく退屈からくるストレス」から解き放つ一助をしているとは言える。自分で言ってて奇妙な話だけど。
そっか!私には人を不快にする才能があるんだった!存在意義見つけたぞ。
悲しいなあ。
何もないよか何倍もマシだがな。
私ってホントに冴えないやつだな。
こういうマイナス思考がダメなのはわかってるけどそう思っちゃうんだもの。自虐ネタしか人を和ませる方法がわからないメンタルが不安定な傾向にあるんだもの。
雑談できないんだもの。人と話すときに私は言葉のキャッチボールができなくて、みんなが楽しそうに話しているのをただ黙って聞く蚊帳の外か、自分が一方的に話すショーみたいになってしまうかのどちらか。
そしてパニックを必死に抑える。家に着いたら心の自傷行為に走る。
赤面は抑えられない。ショックが大きいとクラ~っとなって倒れてしまいそうになる。人に愛されたいけど話せない。不信感も強くなった。でもカップルとか見るとすごくうらやましい。幸せそう。もしかしたら本人たちはそう思っていない場合もあるかもしれないけど大抵は幸せだと思う。傍から見たら間違いない。
恋愛がうらやましくて脈ありなし系の動画を漁ることがあるのだけど、それだけじゃ幸せになれないと気付いた。もし好きな人が自分に対して脈ありだとしても次の課題があってそれは「本命か遊びか」というやつ。
恋愛未経験がでしゃばるけど、なんか辛そう。今の私がやることではないのはわかってる。メンタルhpがただでさえ少ないのに。
でも周囲とどうしても比べてしまう。劣等感を埋めるための恋愛はよくないからしない。でもしないという選択をしたらしたで辛い。
恋愛してもきっとつらい。楽しいことはあるだろうけどその落差に私は耐えられない。メンタル強い人がうらやましい。
恋愛以外でも友人関係にしろ何にしろ人間関係はメンタルゲーだから。
いかに無駄にごちゃごちゃ一考えないかが有利になれる秘訣なんだろうな。
私はその真逆を行っているから厳しいなあ。
自分の幸せの基準を他人に合わせるのは不健康だってわかってるけど、「世界中の楽しそうな人たち何兆人vs私一人の思想」 だったら今のところずっと惨敗しているんだよね。みんながいいなって思っていることは周囲にウケがいいし、ノウハウもあるし。みんながいいと思っていることはsnsを開けばたくさんの賞賛や笑顔で溢れかえっている。そこから自分だけ外れると本当にこれでいいんだろうかって不安になってまたみんなのいるレールに結局戻ってきちゃう。みんながいるからきっとこれが正しいんだってこれが私の幸せで当たり前なんだって信仰してしまう。独走する勇気がない。一人は怖いし不安。現に孤立しかけてるんだけどね。
人生って何なんだろう。ただ生まれて子孫残すやつは残して、せっかく美容に力入れてもどんなに美人でも勉強を頑張って色んなことを知っても死んだら何もなくなるのに。なんか意味あるのか?幸せになってどうしたいんだ?
なんで幸せになりたがる?みんなも私も幸せを追いかけて縋り付く。幸せに近づけるものに吸い寄せられていく。おいしいごはん、娯楽、セックス。生きる行為はただの熱運動で化学反応で粒子の流れで、死んだら分解されてまた運動して、、、何がしたいの?もしかしたら何もしたくないのかもしれない。でもそこにあるから動いている。死体を海に流したら死体はぷかぷか動く。渡り鳥につつかれても腐っても波に動かされる。死体自体は動かないのに。そういうことか?
自分でいっててわけわからなくなってきた。でも今はブログを書くこと以外にできそうなことがない。正確には意味のありそうなことでできそうなこと。虚しい。私は何のために生きているのかと問われたら私は特に大きな使命はないけれど今日のご飯をおいしく食べたいし、アニメが見たいからとりあえず生きていると答えるかな。
中学の時は学校に行かないでひたすらアニメを見たかったけど現実はうまくいかなかった。父親が厳しい割には人の話を聞かない人だったから学校に行きたくない理由にちゃんと取り合ってくれないくせにとにかく学校に行けと頑固だった。
金だけおいてどっかいけやって思ってた。自己中だって思われるだろうけど。でも本当にそう思っちゃったんだもん。アニメは煌びやかで夢があって楽しい。現実は嫌い。でも現実に戻って運動したりご飯食べたり睡眠したり日光をたまに浴びないと健康に支障がでてアニメを楽しく見れないからしかたなく現実に行くんだ。
現実なんかくそくらえって思うけどアニメだって現実から作られた副産物なんだよねえ。父親と似たスタンスだなあ。
だって、父親は性格悪くて酷い人間だけどご飯が食べられて家に住めるのはその酷い父親が稼いできたお金のお陰なんだものね。
そしてアニメは嫌いな現実世界から作られたものなんだものね。
好きなものが実は嫌いなものから作られていたってかなりきついなあ。
でもそれが『現実』なのよねえ。きっついな。。。
だいぶ前から嫌なことをよく思い出すからそのたびに「きっついなあ」って独り言を言っている。何回言っているか数えてないけど、一人の時はたくさん言っている。
ほんと、生きる意味って何なんだろうか。
幸せを感じにくい人にとっては人のために死ねるっていうのは言っちゃ悪いけど幸せかもしれない。
だって守ってもらえた側の人たちからはその事柄についてはずっと賞賛させるわけだろうし(認知されてればね)、そして合法的に死ねるばあいがある。罪悪感も少ないだろう。だって人のために死ぬんですもの。すっごく偉いでしょう。もしかしたら死んだあとに誰かが褒めてくれるかもしれないって期待しちゃうな。
自分は幸せになれないから他人を幸せにしようって完全に吹っ切れたら幸せに近づくかもしれない。
私の生きる(生かされているからしかたなく持つ)目的は幸せになることだと言える。
世界的に見て私は物質的には幸せな方だと言える。でも心は死へ向かいやすい。なぜだろうか。それとも物質的に貧しい人はさらに酷いのだろうか。
きっついなあ。
それと、最近きづいたことは私は人に教わるのが苦手ということ。
自分のペースでやりたいタイプ。人に教えてもらっているときに注意されたり指摘されたときに人格も否定されたように感じてしまいがちだからきつい。相手の言っていることは正しいからその呪いは生涯ずっと付きまとう。
相手はきっと人格を否定するつもりはなかったのだろうということはわかっているからなお更に辛い。悪くない人間が言う心優しい言葉の中の気遣いという包みを開けた時の中身が腐っているとき、それは永遠にぬぐえないものになる。どんなに自分を正当化しようと考えて、練って練って練り上げても、使用済みのガムみたいなそのどろどろの中身はなくならない。むしろ大きくなっていく。
それは私の困っている気持ちや不幸な気持ちを食べて大きくなって更に私を虐げる。
私が自分に言う悪口は全部そいつのせいだ。と言いきれたらどんなに楽だろうね。他にも要因はたくさんある。そいつだけのせいじゃない。だからこの原因不明な大量の行き場のない感情がこみ上げるばかりなくせに、学校でも家でもその対処法を習ったことはなかった。ネットで調べても自分にピッタリな模範解答を見つけるのは大人でも困難だ。
通り魔事件が起きているのがその証拠。
精神は未完成だけど体は大人な奴らが未完成の新しい人間を作り出し教育する。そんなケースはよくある。自分の親を見ていて感じるところはある。学校の先生を見ていても感じたことがある。別に親も先生も尊敬しているし大好きだけど(少し建前)、そんな場面を何度も見てきた。
当たり前な話ですまないね。誰に誤ってるのだろう。この謝罪はきっと不安からきている。来るかもわからないアンチへの予防線?不安のほとんどは実際には起きないらしいけど。でも不安だから謝っておく。
毎日が不安で不安で仕方ない。外にでたらもしかしたらアシッドアタックされるかもしれないからペットボトルの水を切らしてはいけないとか、孤立気味で恨みとは縁遠いのにすごく不安になっていた時期があった。
自分が惨めに感じる。楽しいことはあるけど、ふと思う。ふと思わなくてもアニメ見ているときによくそうなってしまって集中できないことなんてざらにある。
だから最近毎日一日の終わりに感謝したいことを3つ記録するようにしている。
現時点でここに書けそうな感謝したいことは、「健康であること」、「アニメを見れたこと」、「英語の本がほんーの少ーしだけ読めたこと」。

幸せになりたい。だから既に幸せなことを自覚する作業ってのは実用的。

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