娘の自転車遍歴
娘の自転車は、子供用の小さい頃は、息子が買ってもらった三輪車からでした。
残念なことに、子供達が生まれる頃には自転車屋をしていた祖父はもう居なくて、三輪車は義理の父母からのプレゼントでした。
「ウルトラマン」が好きだったので、真ん中に「ウルトラマン」が付いた自転車でした。
息子より、娘の方が良く乗っていました。
その後、子供用自転車になり、娘は小学4年の時、必死に補助輪無しで乗れるように練習をしていました。
毎日、手伝ったりもしたのですが、
「一人で練習する❗️」といって、転けながら
練習していました。
それを遠くで見ていた当時小学6年の息子が
それまで、自転車に乗れず、友達と遊んでいても、友達の自転車のあとを走ってついて行っていた息子が、娘の自転車の乗り方に「こうしたら良い」とか「最初はこうしたら」と乗れもしないのに、娘に色々教えてきたのです。
乗れないことに少しイライラしていた娘は
「じゃー、どんなにすれば良いのか乗って見せてよ❗️」と喧嘩腰になったのです。
そこで、息子が補助輪の無い自転車に初めてまたがり、スッと漕いだのです。
すると、なんと、自転車に乗れたのです。
イメージトレーニングだけで乗れてしまいました。
その時の、息子の喜びようは、凄いもので、反対に何日も練習していた娘の悔しがり方の半端無い様は、対照的で私もなんと言えば良いのか悩んでしまいました。
コツを知ればすぐ乗れるものです。
次の日には娘も乗れるようになりました。
それからは何処に行くにも喜んで自転車に乗っていました。
自転車に乗れると、今度は学校にもあった「一輪車」にも興味が湧いてきました。
誕生日に一輪車を要求して、買ってあげました。
それからテラスのデッキの手すりを使ってコツコツ毎日練習していました。
1週間もすると、少しずつマシになってきて、
広い場所で走り回れるようになりました。
学校でも友達と手を繋いで漕いだりしていたようで、好きなものは上達が早いものです。
そういう姿を見ていた息子ですが、「一輪車」には興味を示しませんでした!
息子はというと、東京の大学生活になった時、自転車で、アパートから通うというので、自転車を送ろうとした事があります。
しかし、九州から東京まで送ると2万円程送料が掛かると言われ、じゃー買った方が安いかも、と学校の生協で買ってもらい、何年か乗っていました。
そんなもんです。
娘は、小学時代は一輪車に凝っていましたが、中学になると、学校まで2km程の距離で、自転車で通う事になりました。
自転車も、軽くて、錆びにくい自転車を買って、毎日学校に通っていました。
当初、学校のクラブ活動では、スポーツをしたら良いよねとなっていたのですが、もう、入学前から「オーケストラ部」に入ると決めていたので、スポーツの代わりに自転車で運動することにしたのです。
元々、身体の強い子なのですが、自転車での通学は、より、健康になった気がします。
ただ、6年間の通学で、毎年パンクをしていました💧
どうしたらそんなにパンクできるのか不思議なくらいです。(私なんて、いたずらでパンクさせられた一回しかないです)
その都度、自転車を回収しに行き、修理をしなければいけません❗️
最初、パンクした時は、本人もパンクが解らず、そのまま乗って帰りました。
もちろん釘を踏んだまま!
で、チューブ交換をしないといけないくらいタイヤの中のチューブは、傷だらけでした。
娘は、それに気づかず、乗って帰る強者です❗️
「どおりで自転車、重たいと思ったよ❗️」でした、、、❗️
今はもう乗っていません。
中高の時は怖かったのでヘルメット被らせていたのですが、今は、
「ヘルメット被らないといけなくなるなら、もう自転車は乗らない」になってしまいました。
そういえば、女性のヘルメット被る率は低いんでしたね!
髪型決まっちゃいますものね❗️