社宅のお風呂
社宅のアパートにはお風呂が付いていませんでした。
アパート4棟の住民には共同浴場があり、夕方5時から9時まで入れるように沸かしていました。丸い大きな浴槽があり、銭湯とあまり変わりがありませんでした。
洗面器に入浴セットを入れ、着替えを上に乗せて、お風呂に行くのです。
雨の日は、せっかく綺麗になったのに帰り着くと雨を弾いて汚れていたり、冬は、せっかく温もったのに帰り着くと冷めてしまっていたりで、とても不便ではありました。
月に2日はお風呂が休みで、お風呂に入れない日や(生理中などは、遠慮していました)
時間が間に合わなかった時などは、水はけの良いトイレにガス湯沸かし器でのお湯を汲んだバケツを持ち込み、トイレで行水をしていました。
すごく不便でしたが、トイレ掃除も兼ねていると、母は喜んでいましたが、、、
父は、職場にもお風呂があるので仕事を終えるとお風呂に入って帰るのでした。
共同浴場は、管理するご夫婦がいて、同じアパートに住んでいました。
お風呂の番台にいつも口の悪いおばちゃんが座っていて、監視していました。
男湯の方ではよくわんぱくな子達がおばちゃんに怒られていたのです。
女湯の方では、高さが1m、四方も1mはあるような大きなベビーベッドが3台もあり、お母さんは立ったまま赤ちゃんの着替えが出来るようにしていました。
アパートは新婚さんが良く入居して来て、故に常に赤ちゃんが居ました。
社宅のお風呂です。普通の銭湯とは違って、仲間意識が高く、赤ちゃん連れのお母さんには、ゆっくりお風呂に入ってもらおうと、赤ちゃんの着替えや、子守りも周りの人達がしてあげていました。
時には、お母さん達の悩み相談もおばちゃん達は受けていました。
そういう所は、現在には無い古き良き時代だと思います。
悪い所ももちろんあります。
お風呂は井戸端会議場で、アパート内の事は、全部筒抜けです。
「あそこの息子さんは生徒会に入ったのよ」
とか
「〇〇ちゃんは受験に失敗したんですって」
「〇〇さんとこはまた、お子さんができるんですって❗️」などなど、、、
おばちゃん達の恐ろしい会話がお風呂で行われていました。
私も、何度も嫌な思いをしたものです。
なんでみんな知っているのか、、、不思議でたまりませんでした。
後、お風呂番のおばちゃんは、凄い熱湯好きで
おばちゃんが入っている時、出くわすとめちゃくちゃ熱いお風呂に我慢しながら入浴しなければなりませんでした。
ですから、毎日、当たり外れとくじ引きをしているように入浴していました。
おばちゃんは水を加える事を許さなかったからです。
洗面器に水を汲んで入る浴槽に水を足しながらどうにか入浴していました。
あまり、役には立っていなかったと思うのですが❗️
そういえば、一時期、身体を『タワシ』で洗うのが流行りました。
おばちゃん達はみんな「MYタワシ」を持ってお風呂にくるのです。
お互い背中を擦りあっていました。
もちろん母もその1人。
私は、あんな痛いもので身体を擦ろうとは思ってもいませんでした。
このブームは長い間続き、母は美肌を自慢していました!(そういえば、このブームで、背中を洗いやすいように、紐付きも販売していましたね。母は紐付きも持っていた記憶があります)
本当に『タワシ』で美肌ができるのかはわかりませんが‼️
今は無い、社宅のお風呂文化。
昭和の良き時代だったのかもと思います。