子供の頃のおやつ
祖母は、明治女ではあったが、東京での生活や、中国での生活もあり、色んな料理ができました。
子供の頃、引っ越した田舎の新興住宅地は、買い物するにはすごくへんぴな場所で、大きなバスの様な中に入って商品を物色できる移動販売車が週に何回か来ていました。
今の、レントゲン車くらいの大きさです。
祖母は、「おやつ」も手作りで、いつも、茶箪笥の引き戸の中にその日の「おやつ」が入っていました。(ドラえもんのように)
忙しいときは、ナッツだったり、果物だったりしていたのですが、今思えば、添加物が盛りだった時代、ほぼ、無添加に近い食生活を、作ってくれていたのは感謝しかありません。
ただ、甘い物が好きだったから作っていたかもしれません。
実際、祖母はすごく太っていたからです♡
糖尿病が無かったのは、凄いです。
ある時、いつもの様に移動販売車の車が来ていました。
私は3、4歳頃だったみたいで、祖母の後をついて、バスに乗り込み、そこに売っていた「レーズン」の袋を取り、バスの登り口の階段に座り、一人袋を開けて食べだしたらしいのです。
もちろん、お金は払っていません。
祖母は全然、気づかずそのまま私を連れて家に帰り、ずいぶん経った頃その袋を見つけたそうです。その頃はまだ、電話も我が家には無く、連絡できず、両親が仕事から帰って、事の事情を聞いたらしいのですが、
私はまだ、お金を知らず、戸棚を開くと「おやつ」がある我が家と、お店の差がわからなかった様です。
その晩、母が雨の中、私を連れてやっと調べて知った販売車の人の家に頭を下げに行ったそうです。
お店屋さんは、雨の中、小さい子が謝りに来た事にビックリした様で、
「私が、この子にあげたんですよ」と言って、反対にお土産までくれたそうです。
昔は人情が、あったんですね!
それからは、『お金』を教えて、家の中と外との違いも教えたそうです。
全然覚えて無いですけど、、、
祖母は、あんこも手作り、ゆえに、羊羹や夏には水羊羹。どら焼き、八朔の皮で作る砂糖漬け(オレンジピールの様な物です)
卵ボーロ、焼き芋(焼き芋用の鍋もあり、中には石を敷いていました)
大分の「やせうま」(平たい麺にきな粉がかけてあります)
果てはカステラまで作ってもらった事がありました。
中でも、祖母の得意とするものに
『カルメ焼き』がありました。
作り方は、銅で出来たお玉に、ザラメと水を入れて火にかけます。
小さいすりこぎで混ぜながら、ブクブクしてきたら、火から下ろして、ふきんの上に乗せ、小さいすりこぎに重曹をつけてよく混ぜます。
膨らんでくれば出来上がりです。
そうやって発泡させて作る軽くて甘いお菓子です。
祖母は『カルメ焼き』を作るために銅のお玉ももっていました。
すごく甘くて、わたあめとはまた違うカリカリした食感のある『カルメ焼き』。
実は私はあまり好きではなかったのですが、楽しそうに作る祖母に付き合って何度も食べました。
祖母が亡くなって私も嫁に行き、その銅のお玉は、レトロな可愛い茶箪笥と、氷を入れて使う昭和初期の冷蔵庫と共に物置にしまわれました。
母には、これは将来価値が上がるから取っててね。
とお願いしていました。
そのうち、息子が中学の化学部で、『カルメ焼き』を作ったとかで、とても美味しかったのでぜひまた、作って食べたい。と言ってきたのです。
『カルメ焼き』のお玉なら大分にあるよという事で、夏休みに大分に帰った時、物置を見てみると、何も残っていませんでした。
母にお願いしていたのに、、、、
そう、私の母は昔から自分が必要としない物は
誰のでもあろうと、人にやったり、捨てたり
勝手にする人でした。
実際、私の「お雛様」や「りかちゃん人形」もいつのまにかありません❗️
とても残念な出来事でした。
祖母の思い出も捨てられていたからです。
かすかに残る甘ーーい「おやつ」の味を思い出すのみでした、、、、