沖縄人の友達
大学の時、美術科に1人、沖縄の石垣島からの学生がいました。
数少ない男子の1人でした。(学年で確か6人だった記憶があります)
彼は沖縄独特の喋りで、個性あふれる作品を作り出す、楽しい人でした。
沖縄が、日本に返還されたのは、1972年(昭和47年)私が10歳の頃で、彼からは、その頃の話を聞く事がありました。
私たちが小銭の十円玉を握って駄菓子屋に行っていた時、彼も10セントコインを握って駄菓子屋に通っていたというのです!
カルチャーショックでした。
その頃まで、沖縄に行くには「パスポート」を必要としていました。
余談ですが、子供の頃、沖縄へはパスポートがいると知っていたのですが、当時、「ヨロン島」への旅行が流行っていて、私はもちろん、「ヨロン島」へもパスポートがいると思っていました。後に「ヨロン島」(与論島)は鹿児島県と知って、愕然としたことがあります💧
1978年(昭和53年)7月30日
沖縄が日本に返還になった後に、交通ルールが変わりました。
アメリカのルールだと、車は右側通行です。
それが、1日で、一斉に左側通行に変わったらしいのです。
その時、彼は高校生、私たちと出会う一年半前の出来事だったのです。
次の日に、バスを含む何台かの車が路肩に落ちているのを見たそうでした。
左側通行に対応するのも難しかったのでしょうね。
在学中の夏休みに、クラスの子達が何人か沖縄旅行をして、彼の家へ訪問したことがありました。
友達は、
「びっくりしたよ、家が解らなくて、島の人に、道を尋ねたら『島袋❓全部そうだよ』と
近隣みんな島袋さんだった‼️」
らしくて、今の様にまだ携帯が無く、連絡手段が少ない時代、公衆電話を必死に探したそうです。
そんな「島袋くん」は、卒業後、京都に住み付き、京都の女性と結婚して、養子になったそうで、もう、「島袋くん」ではありません。
でも、彼は、見かけがしっかり、“沖縄人”でしたので、濃ゆい京都人と化している事でしょう。