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【性教育タブー視批判】「生理の貧困」は性教育不足が作り出した側面もあると思う
性教育に関心がある者の1人として、この話題には触れておきたい。
今日、サンデージャポンが作成した、生理の貧困に関する動画を視聴した。
生理の貧困とは
経済的な理由だけではなく、「自分で買うのが恥ずかしい」「父子家庭で父親の理解が得られない」等の理由から生理用品を入手することが困難な状態
不勉強なもので、生理の貧困は経済的理由から起きているものだと思っていた。
私の中に新たな知識が入ったところで、改めて生理の貧困について考えてみたい。
私の考えが溢れる記事のため、長めになっております。
学生時代、性教育を受けた人はいますか?
私は今、西アフリカのガーナ共和国で性教育をしているわけだけれど、日本にいた時は中学生を対象に性に関する話をしていた。
日本で性教育はタブー視されている側面があり、そこに苦労している仲間も見てきた。
「子どもたちにとって必要だから」と批判覚悟で性教育をする人、理論武装をした上で計画的に性教育をする人がいる一方で、「寝た子を起こすな」と言わんばかりに真っ向から批判する人も同業者の中にいる。
全体のうちのほんの少しだけれど、そんな現状を知っている者として、「学校で性について教えてほしかった」「もっと子どもの頃に知りたかった」という若者の声を聞くと、歯痒い気持ちになる。
性教育を軽く見る人もいる一方で、性教育を頑張ろうとしている人もたくさんいることを知ってほしい。
性教育は男女別で受けましたか?
これも性教育の大きな課題の一つだろうと思う。
「性教育は男女別であるべき」という刷り込みがされている人は日本にもガーナにもいる。
そういう人に「なぜ?」と率直な疑問をぶつけても、的を得た答えは返ってこないことがほとんど。
確かに、性教育を受けてこなかった思春期の子どもたちに性教育をする時だったり、よりディープな体の仕組みについて話す時は男女別の方が教育的効果が高いこともあるだろう。
ただ、何でもかんでも別!というのには同意しかねる。
かくいう私も男女別で受けてきた身だけれど、同世代の男性で生理や生理用品について大人になる前に知っていた人の方が稀だ。
そんなだから、「お前生理?」なんてことを軽々しく叩ける輩が出てしまうのだ。
本題
冒頭が長くなってしまったけれど、ここからが本題。
経済的理由以外での生理の貧困
冒頭でも述べた、「自分で買うのが恥ずかしい」「父子家庭で父親の理解が得られない」等の理由で生理用品が買えない現状。
私は、この類の生理の貧困は幼少期からの継続的・計画的な性教育が行われれば解決する問題だと思っている。
特に、男女とも同じ空間で同じことを学び、それを当たり前とする風潮になれば、これらの問題は起こらないと思う。
その教育を受け、その風潮の中育ってきた人が親になり、子どももまたそうして大人になる。
そんな未来が来ても、上記のような生理の貧困が起こるだろうか。
過去の無責任が現在の問題として表出し得る
性感染症が蔓延し、罹患者が増加している地域で、大人になる前に実用的な防衛方法を何も教えないのが善となるのか。
大人が責任を果たさなかった結果、現状が起きているのではないか。
大人はまたそれを繰り返すのか。
これは私が日本にいた時に直面した壁。
性感染症が蔓延している地域の子どもたちが何も知らないまま大人になったらどうなるか。
「そこは自己責任の範疇でしょ」という意見もあるかもしれない。
それでも、性教育を行っている者の端くれとしては、それで片づけられない現状が今起きていると思う。
性教育が「生理の貧困」を防ぐのか
性感染症の問題と生理の貧困の問題を一緒くたにすることはできないけれど、最悪の事態を防ぐという意味では性教育がどちらにも有効だと思う。
経済的な理由での生理の貧困は、性教育だけでなく行政の支援が必要なことも多い。
今回の記事で言及した生理の貧困については、教育が変わり、全体の意識が変わることで、解決への糸口が見えてくるのではないか。
私は継続的・計画的な性教育が現状の問題を解決すると信じたい。
だからこそ、問答無用な性教育のタブー視には断固としてNoと言いたい。