![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157719511/rectangle_large_type_2_d091a4d7a90872a70269113d914ebb2c.png?width=1200)
ルールはもう、通用しない。
ほのかです。塾バイトをしてるとたまーに子供に不満を持っちゃうこともありまして、、、
今日は宿題やってこなかったり遅刻してもヘラヘラする受験生、これ違うよって言ったら机を叩いてキレる男子生徒、話を1ミリも聞いてくれない小学生というスリーポイントシュートが決まってしまったので若干むしゃくしゃしてます。😠
で、過去にもむしゃくしゃするとこういう記事を書いてきたんですが⬇️
もう、それどころじゃないので。
勉強をしないとかじゃなくて、話を聞かないとか約束を守らないって、生きてく上でしんどい。
サービスってこんなことも飲まなきゃいけないのかな、バイトって躾も仕事なの?失礼なことされても怒っちゃダメなの?ハンデがある子には過剰に配慮するもんなの?なんかもうわかんない。ってことで。
教育をもっかい振り返って、どう接していくか。どういう気持ちになってもらうか。
そのことを、ちゃんと考えてみようと思います。
今日はこいつを参考に。いってみよう!
01.義務教育〜社会の歯車を育てる〜
とっても大事な義務教育。明治時代導入ですね。
戦後に整えられたけども。欧米の価値観をゲットして、富国強兵‼️ということで世界と戦える人材を育てたかったわけですね。読み書きや算術に加えて、地理、歴史、理科といった内容教科(?)を教えてたみたいです。近代的な人間を育てる!というのが狙いだったらしくて、そのためには西欧みたいに知識を蓄えて、勉強して、賢くなって、、みたいな。
どこまでも真似ですね。笑 近代的な人間ってのは、政治に参加する主権者としての権利と義務があって、納税とか兵役もちゃんとして、社会の歯車になれる人のことみたいです。⚙️
だからこの時は、日本の教育観もかなりかっちりしていてまあ正直個人の特性だの人の気持ちだのその辺はあんまり無視してたのかなあとは思います。😶
まあ教育勅語もね、今考えたらなかなかですから。
親孝行や兄弟愛、夫婦の和、友人との信頼関係など、伝統的な道徳を重視し、それらを通じて天皇への忠誠を強調するというもの、、いや親孝行とかはほぼ天皇への忠誠への前座で結局お国のために的な宗教色丸出しの、、思想統一、、、😅
この時は子供を成長させるために鍛えるというよりも子供を日本社会の歯車になれるようにトレーニングする、というのが教育のモットーだったのだと思います。厳しい時代ですね。🤔
まあ、なんなら勉強よりも奴隷ばりの長時間労働させて社会の歯車に無理やりさせてたもん、、、ね、、。
02.アメリカ風教育〜国を育てる〜
次は、マッカーサーの頃のお話ですね。この頃に今の義務教育の6年、3年+高等教育3年、4年とか、公立小中学校の無償化とかその辺が整ってきましたね。
まあこれはもうアメリカに従うしかなかったので、「全ての子どもたちの教育の機会均等」というアメリカの理念のもとそれを忠実にしてきたわけです。
これは日本民主化計画のひとつなので、とにかくお国のためにとかいって暴走した日本をどうにか根本から諌めようとしたという、子供というより日本の教育。
国の間違ったことを鵜呑みにしないように、、、全ての子供の頃から批判的思考と自由な発想を鍛える!みたいなモットーだったらしいですよ。
まあでも、きっとこれはいい影響だった。
ちゃんと基礎教育を受けた上で高等学校に進む人が増えればね、新たな知的労働も増えて豊かになる、、はずだし。実際高度経済成長とかいい感じになったし。
ただまあそこからアメリカが全部正しいみたいな風潮が根付いてきたようなそうじゃないような気もする。
まあとにかく、国を育てるために根本的に子供を一から教育してたっていう方が私はあってるなあと思います。流石に「考える力」とか「次世代リーダー論」とか「男女平等」とかその辺は発達してなかったもん。まずはお国のためにを排除するのに奔走した、戦後教育だったと思います。🇺🇸
03.見直しのベビーブーム〜根性命〜
おっとここで見直し。正直初知りなんですが、46答申というものが70年代に導入されたそうです。
具体的には、「ベースは40人クラスでお願い!」「定時制や通信制の導入」「職業教育の多様化で、工業高校や商業高校も入れてみよう」「師範授業で教員鍛えて、給料も上げよう」こんなかんじ。
やっぱり、教育の拡大をしなきゃいけなくなったそうで。子供が増えたからね。とりあえず一気に集団で子供をみることが必要で学級経営が肝なこと、従来の職業だけだと食いっぱぐれが出てしまいそうなこの感じと、てことでこんな感じで職業選択の自由を増やす必要があったこと、初手で適当な教育受けると社会で詰むから教える方もレベルが高くなきゃ行けなかったこと、そんなわけでのこの教育な気がします。🤔
おおーんなるほど。ベビーブームといえば、戦後の赤ちゃん。戦後の赤ちゃんのこの時の年齢といえば、20-25歳。確かにめっちゃ人数多いし、この傾向は続きそうだと考えれば妥当な政策かも。🤔
ここでわたしはあることを思いつきました。
1971..あれ、、この辺でおそらく根性論もどっかで沸いてるはず。🔥
はい、沸いてました。東京オリンピックのおかげで。
いわゆる根性論は、大松博文氏(1964年の東京五輪で女子バレーを金メダルに導いた監督)発祥らしくて。実績もあるし、時代背景とともに信じられた。
高度経済成長期のビジネス界には「ハイタレント」「中級技術者」「単純労働者」といった労働力を育てなければならない時代の要請があり、大松イズムの中の「とにかくやるんだ」という部分だけが取り出された。「モーレツ社員」「24時間働けますか」というメンタリティーが生まれ、そのビジネス界の取り組みが、今度はスポーツの部活動などに跳ね返っていった。その繰り返しの中で、当初考えられた理念と考え方が伝わらず、ミスリードされた。それが一番の要因だと思います。
…うーん。なんかひらめいた。💡
やっぱり、子供が増えて、必要な仕事の数も増えて、成長していかなくちゃならなくて。そんな高度経済成長期ってやつの中で、とにかくとにかく肉体労働でもなんでもやれる気力100点満点の人やら知識100点のハイレベル層やら、手に職ついてる専門家やら、ぜーぶ育てなきゃいけなかったんだ。
でも個別で見る時間はない、よしとにかく鞭打つぞ!
これだ。これな気がする。
とにかく元気いっぱいやれば評価された、駆け出しの時代。🏃♀️ 羨ましいような羨ましくないような。
それでも、何もしなければ取り残されることは間違いなかった。やらなきゃしごかれる。切り捨てられる。
この頃の子供たちに、この意識は強くあったと思う。
特に運動部ね。あの、体育会系といわれるものね。走り込みとかトレーニングを休まずこなすことで、気に入られた可能性あり。縦社会の構造もね、この頃はとにかく大勢を一気に育てる時代だから合理的だった。
成績表の関心意欲態度なんて絶対それだと思う。笑
体罰とか廊下に立つペナルティとかもあったな。🤔
これもでも個人の話をヒヤリングしてる時間なんてなかったからね、、、鞭打って正しくやらせるしかなかった。うん、とんでもない時代だ。
這い上がれ、這い上がれ、やればできる、やらなきゃできない、休んでたら置いてかれる、この精神。
実際経済成長もしちゃったし、この根性論は金メダルの監督から出てきてるし、根拠しかなかったからしっかり根付いてたんだと思います。
逆にこれが強すぎて、具体的な解決方法もわからずに努力しろ、休むな、みたいなので壊れた人も多かったんだとは思いますね。🤔
04.ゆるくいこう、勉強だけじゃないんだぜ
例の根性論から5年後に登場、ゆとり教育。
実はこの「ゆとりある学校生活」が言及されたのは1976年(昭和51年)なので、ゆとり教育の始まりは今から約45年前にも及びます。だそう。
私の中で高度経済成長期✖️根性論の方程式がますます盤石になってきました。笑
受験戦争も絶対例の感情論の一つやろ。詰め込み教育は、過剰な学習量や知識の暗記を重視し、加熱した受験戦争による学力偏差値重視が問題視、、というかオーバーヒートした子が多くて大変だったのでは?😅
とりあえず実技科目で楽しくいこう!への切り替わり早すぎる、絶対これ。競争性とか協調性とか、この頃から下がってきちゃったみたいですよ。😶
あと、バブルも絶対この楽しければいいやからきた気がする。娯楽も格段に増えたし。
やっぱり人って、緩すぎるとダメになりますよね。笑
今の親世代は、きっとこの辺の楽しくいこうぜ思想のもとガッツリ青春を謳歌してるはずなので、ワンチャンこれで子供を怒れない可能性とかもありそう。
何もしなくても娯楽は手に入るし、学校も勉強だけじゃないっていうし。そりゃあ甘えちゃいますよね。笑
05.受け身をやめよう1990
なんか語呂合わせみたいになっちゃった。笑 第2次ゆとり教育のテーマです。理科の授業で自然観察や実験を行い、実際に体験することで考えて学ぶ、とかプロジェクトベース学習(PBL)みたいな学生が自ら課題を設定し、解決策を考え、実践する過程で問題解決、とかボランティアとか。⚗️
これ、受け身やめれてないけどね。😅
まず、理科の教科書に答えは書いてあるし。ボランティアしたって、感想文に正解はあると思うし。
何より、考えてやらせようが強すぎて宿題を出さないとそもそもやっぱり甘えちゃう、勉強しない、知らないから思考もクソもない、みたいになってたらしい。
相変わらず集団授業だし、ベテランは団塊世代。
ごちゃごちゃミックスしたら、何もうまくいかないですね。😖
この頃の子供達が今のベテラン。
自分がされて嫌だったことは、子供にもしたくないはず。これを反省して厳しい教育者になる人もたくさんいるし、お父様お母様の影響で感情を大事にする方もいるけど。
こういうのが、ちょっとルーズというかやらなくても答えを求めればくれるかな、みたいな発想に繋がってきちゃってる気はしますね。
この世代の優しい人が、答えを簡単に与えちゃってるかもしれない。🍬
飴ちゃんをもらって、鞭で叩かれることはなくなってきたから。自分も子供が可愛かったら飴ちゃんをあげちゃうのかな。
もしかしたら根性論に反発したことが、ちょっと今の子供たちをルーズにしてる可能性はありますね。
06.ついに2000年!〜今度こそ自主性〜
もう嫌な予感するけど。自ら学び自ら考える力などの生きる力を育む ため、年間授業時数の縮減(年間70単位時間)および完全学校週5日を導入。
…甘やかされちゃってるだけのような、、、😅
わたしら学生のちょっと上くらいの話だと思う。
でもまあ確かに、この20年くらいやってきたゆとり教育の中で、もしかしたら学習障害を抱える子に評価されるチャンスが巡ってきたかもしれない。
学校の勉強は苦手だけど、それが重視されなかった分のびのび好きなことを伸ばせたかもしれない。
そういう面もあったのは、よかったですよね。
画一的だとどうしても、枠に収まらなければ土俵にも上がれない。そうじゃなくしてくれたのは、とてもとても有難いことなのかもしれない。🤔
でも、娯楽がたくさんあって宿題もなくて休みも多かったら、、遊ぶでしょう。笑
運がいいことに、学力試験もあるけど面接とか作文とか、人柄で勝負できる学校とかもあったわけだ。
そうなったらやっぱり、他者に合わせるとか礼儀正しくというよりも自己表現が尖っていって、権利は主張するけど弁えることは苦手になったりしないかな。わたしもだいぶとんがったこと言ってると思います。笑
もしかしたら本気で、楽しいことだけやって苦しいことはいい感じにパスして、自分を通すようになってきた入り口だったのかもしれません。
私たち、管理職の方から見れば最近の若手だし。
社会の風潮って、本当に大事なんですね。
07.そして生まれた【いびつな多様性】
厄介なのは、【いびつな多様性】です。
シンプル多様性はいいことですよ。文章を読むのが苦手でも絵を描くことが得意だから、素敵なデザインで世の中を明るくする。社交性はないけどプログラム言語を読むことが得意だから、システム開発して世紀の大発見をする。男同士女同士でも結婚していい。
…最高じゃないですかそんなん。生きやすい。
でも、いびつな多様性は違う。
例えば、40人クラスに1人多動で暴れまくって授業をプツプツ止めなくちゃいけないほどの子がいる。
多動なのは、個性かもしれないし簡単に直せないかもしれない。でも、それを他39人は黙って見なきゃいけない。自分たちが無償で勉強する権利は、どこかに行ってしまう。それでも【障害があるから仕方ないじゃないか】とみんな言う。
…そーれは違うんじゃないかな?
多分その子にとってもじっと座ってやる集団クラスより、外に出てお買い物しながら算数を学ぶ方が幸せだと思う。先生の話を聞きたい子供たちも、分けてもらった方が嬉しくないかな。
私は多動が悪いと言いたいんじゃなくて、受け入れるというのならその子の苦手なことを避けられるような手段で導いていく方がいい、と言いたいだけです😌
みんな考え方は違うから、否定するのはよくないよね、怒っちゃダメだよね。ごめんこれもちょっと違う。秩序が乱れると米の買い占めとかでご飯が食べれなくなるし、お金も盗まれるし、誰かが殺されて悲しい思いをしなきゃいけない人も出るかもしれない。
極端だけど、最近のニュースを見てるとちょっと強ち間違いじゃないかもと思う。🥲
ある程度、共通のモラルは必要だと思う。
でも実際は、【ハンデがあるから怒っちゃいけない】
【注意されたらメンタルが凹んで生活に支障をきたすから、注意もできない】【少し厳しく言ったら、大人が嫌になって社会生活に影響する】
【そもそも個性の時代だから認めなきゃダメよね】
…このままだとシンプルに指導者側が疲弊します。
強めの摩擦はどこかで味わうことになるなら、先に慣れておくべきだと思うよ、、、
それにやっぱり人のことを思いやれる力がないと、友達もいなくなっちゃうし信頼されなくて仕事ももらえないかもよ、、って。
ほんとに、だって挨拶と感謝とミスの謝罪と譲り合いの心と話を聞く耳があれば、どうにか生きていけるのに。😭
個性の時代ということで失礼が許されて、知らないうちに人から避けられる人生なんて損じゃないかな。
それでいえば、ミスを指摘しただけで発狂する生徒に関しては私はもう心の距離を置いていて最低限しか助けない。素直に話聞いてくれる生徒には、自習でも積極的に助ける。同じ対価でもらえるサービスは、どっちがいいでしょうね。
あと、好きなことを伸ばすことと目標に向けて通らなければならない嫌なものをみないふりするのは違う。
その時だけ、受験の時だけ、苦手な科目が出てくるならまだ避けていい。でも、就活をしても大人になって働いてもそれは一生ある。
でもやっぱり楽しいことだけをしてありのまま、嫌いなことを無視して、これが私の個性!と言ったところでは意外と「そこそこ」も難しいかもしれない。😶
敬語難しいから適当でいいや、ってしてたらバイトした時に詰むかもしれない。数学嫌いだから見ないふりしたら就活でしんどいかもしれない。
本当にありのままで流れのまま進学も仕事もできると思ってる子が多いので、スキップすると後で辛いんだよってことは教えたいなと思います。
08.ルーズな子供達に、どうマナーを教えるの?
根性論を今更戻しても怖がっちゃって根本的な解決にはならないし、放置しても社会が悪くなって自分たちもしんどいからそれも違う。
そこで思ったのが、二つの方法でした。
8-1 理論の構築
勝手に人のnoteを引用していいもんかはわからないですけど、塾バイトをむしゃくしゃした気持ちで終えて、どうして小・中学生の子たちは約束が守れなくても無礼をしても平気なんだろうか、とむしゃくしゃしながら答えを探そうとネットサーフィンしてたら、ちょっと感動した記事があったんです。
ここに書いてあった、「場所の役割を教える」という話にめちゃくちゃ尊敬の念を抱いてしまいまして。
スーパーは買い物をする場所だから、走り回ったり寝っ転がったりする場所じゃないよ?と淡々と言うみたいな。そうそう、「こういうもんだからこれは変だよ?」みたいなのを早めに億さず言えると強いですよね。👏
そして、「あなたが走り回らなかったからスムーズにお買い物が出来た!ありがとね!」みたいな感じで褒めるらしくて、やっぱり褒められるとこれが正解だし親も怒らないしたまにお菓子なんか買ってもらえるかもだし、すごく合理的でいいな、小学生指導なんかでは真似したい考え方だな!と思いました😌
8-2 損してもらう
苦しいし、実績にもならないけど1度折れるのがやっぱりいいんですよね。勉強を頑張らなくて高校に受からなくて、キラキラJKライフができなかった、じゃあ頑張るしかないのか。みたいな。
すんなりこうならない子もいるので、スマホばかりで全く大人の話を聞かない子を一切フル無視して、朝ごはんも冷蔵庫には閉まっておくけど子供の目の前に用意はしなくて、引っ張って食べさせたりもしないで、話を聞かないとどうなっちゃうのか教えるとか。
さすがに塾講師というサービス業をしているうえに私はただのバイトなのでそこまで思いきったことはできません。笑
でもやっぱり、結局私たちは
お菓子があったら食べるし、休みがあったら休むし、基本的にゆるくされたら甘えちゃうもんですよ。笑
それは全然いいけど、失礼なことをされた時に頭ごなしに怒っても何も響かないから、損という形でこれはしない方がいいんだ、これはよくないんだ、ってヒントを与えるのがやっぱりモラルは身につくかなと思います。
これこそ自分で考えてる!自主性の到来!😙
単に「ルールだから」「そうしないとダメだから」じゃなくて、タブーはなんでタブーなのか、自由にもラインが引かれてるのはなぜなのか、ちゃんと身をもった体験をさせないとダメなのかなあ、と私は思います。ここで大事なのは、「怖い」という感情だけ植え付けるんじゃなくて「何かわからないけど、怒られたとかじゃないけど、嫌な思いしちゃったからもうやめとこう、、」みたいに思わせることだと考えております!
09.最後に
きっと、ゆとり教育の前っていうのは日本も成長真っ只中で共通の目標というか収まって欲しい枠があって、そこにハマらないと生きていけないから根性論も集団教育も上手くハマった。でも今は違う。
共通の枠組みなんてのはあるにはあるけどもう線がぼんやりしてて、今は指導とハラスメントもわからない。フランクと失礼もわからない。ハンデとたるみが区別できない。こうなってるし、共通の目標を追いかけることはもはや脅迫じゃないけど、好まれないことになってきている。
でもそれでも、人と人で生きてくのに人に嫌な思いをさせることが咎められないのはなんか違うと私は思うし、仕事をするのに学がいるならそこから逃げない気持ちもある程度は作る必要があると強く思います。
今は鞭で叩いても怖いだけだから響かない。
だから、ひとつひとつ意義と目的を教えて、それを破ったら自分に返ってくることを覚えさせる。
それしかないのかなと私は思います。
長くなりましたが、たくさん考察してスッキリして子供と向かい合う元気がチャージされました。笑
てことでここで終わりです。
本当に読んでくれた方、ありがとうございました。