酒折の歌の功績は、自問をも許容したこと。それは、想念が歌になるということを明らかにした。
その瞬間、神々の計らいの産物であった和歌が、個々の内面を映し出す鏡ともなった。ここに歌は、人々が内包する「苦しみ」に関わり、「苦しみ」を和らげる道具としての役割を担い始める。
起点となるのは、ヤマトタケルの辞世とも言われる思国歌。
倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭し美し
(大和は素晴らしいところ。幾重にも重なる青垣。山に覆われた大和の美しさよ。)
この歌の画期的なところは、自らの視点で世界を捉えたところ。心の底を覗き込むようにして、麗しき故郷を発見したのだ。
言霊 ――― それが、初めて心中へ事寄せた瞬間である。
(第15回 俳句のさかな了 酒折の歌最終回へと続く)