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【読書感想】光のとこにいてね/一穂ミチ
国語の教員免許を持っているくせに、読書感想文は昔から苦手です。
なぜなら内容を細部まで覚えていられないから。
本を読むことは大好きだけれど、いつも読後感や印象を抱いて終わってしまいます。
でも、やっぱりもったいないな。
と最近思うようになったので、慣れないながらも読み終わった感想文を書いてみたいと思います。
昨日、一穂ミチさんの『光のとこにいてね』を一気に読み終えました。
あまりに爽やかな読後感に、ヘッダーの絵をなぐり描いてしまいました。
※※本編の内容を含みます※※
甘いココアのことばかり考えていてね
結珠ちゃんが、甘いココアのことばっかり考えていられたらいいのに。
この一文にたどり着いた瞬間、自分がそう思える相手を思い浮かべ、涙ぐんでしまいました。
大切な相手が、なんの悩みも悲しみもなく、甘いココアのことばかり考えていられたら自分も幸せ。そう願うことこそ、憧憬に近い愛なのだろうと感じました。
大切な人を、大切に想う気持ち。
それは親から子への思い、飼い主からペットへの思い、愛しあう夫婦の互いへの想い、苦楽を共にした親友への想いであったりします。
この物語には登場人物が多く、純粋でまっすぐで、相手の幸せを心から願う美しい想いは数々出てきますが、こと主人公たちの惹かれあう想いはどこか異質に思われます。
純粋でまっすぐでありながら、想いが強まり距離が近づくほどに浮き彫りになる、抗いがたい本能。
本能的な惹かれあいをこそ運命と呼ぶのかもしれません。その運命は離れ離れになる不可抗力や時間の流れさえものともせず、何度だって彼女たちを引き合わせます。
1人の人間の人生を描くのならば、結珠が藤野との結婚を決めるに至った経緯や、果遠が水人との間に瀬々をもうける決意をするに至った経緯など、ライフイベントという視点での人生の転機について深く触れられることがあってもよいような気がしますが、描かないこと自体が、お互いの存在以外は(お互いが存在してしまうことによって相対的に)とるに足らないものとなる、ということを示しているのかななどと思いました。
もちろん描きたいところまで描けばいい、読者にすべてを詳らかに明かす必要などないのですが。
呪いと理性の呼び名
各章、ある一瞬から、その時どきの苗字で呼びあっていた2人が、出会った頃の名前で呼びあうようになります。
特に果遠の苗字は再会を果たすたびに変わっているので、苗字で呼びあうことは、2人の関係性の現在地を否が応にも「もう幼き日の2人だけの世界にいた自分たちではない」と思い知らせることとなります。
そこでどちらからともなく(と私には思えました)名前で呼びだした瞬間、ここから2人の視線と歩みがぴったり重なっていくように感じられました。
呼び方は自らと相手、両方への牽制であり、自分への言い聞かせもあるように思います。
光のとこにいてね
幼い日の結珠は、果遠の「光のとこにいてね」という言葉に縫いとめられてしまいましたが、最後の「光のとこにいてね」は、まぎれもなく未来への祈りであり、揺るぎない信頼のもとの「わたしのこと忘れないでね」の挨拶に感じられました。
願わくば、2人が2人だけの世界で、やわらかな光の中で、手を取り合って安らかに生きていけますように。あたたかくて甘いココアを飲みながら。
そう願わずにはいられない、明るい祈りで終わらせてくる物語でした。
出会えてよかった物語です。
余談『2人だけの世界』YUKI
余談ですが。私は長年YUKIさんのファンです。
読んでいる間じゅう、『2人だけの世界』という曲が頭から離れませんでした。
改札 素早く通り抜けろ2人のルールで
また ふざけてるんでしょう?
夜がはにかんで揺れてる
失くしたもの見つからなくても かまやしないの
2人だけの世界 誰にも触らせない
爽やかな曲調も、「改札」のキーワードもぴったりで、無意識に結びついてしまったようです。
たったそれだけなのですが、しばらく自分の頭の中でこの小説を思い浮かべるときのBGMになりそうです。
最近古い海外旅行のことばかりまとめていたので、久しぶりに今のことを書いたなと思いました。
色々残しておこう。忘れてしまっても思い出せるように。