【#5】どうやら自分は、半分意図的にゾーンに入ることができるみたいで。それってすごいのかな?
オリンピックに携わったり、観戦をしたことのある人なら、一度は「ゾーン」とか「フロー」とかいう言葉を聞いたことがあるだろう。
念の為軽く説明しておくと、何かに集中しているうちに、周囲の音が全く聞こえなくなるくらいに自分の感覚や今の自分という存在に集中しているという状態のことだ。
スポーツ以外でも、国家資格の試験だったり、あるいは主婦の料理中だったり、とにかく現代社会ではあらゆる場面で「ゾーン」という言葉が使われる。このコラムを書いている途中もそうだ。
書いている途中に「あ、ゾーン入っていますね、僕」と感じることは滅多にないのだが、1日の終わりに今日を振り返ってみた時に、「実はゾーン入っていたかもな」と感じて、少し嬉しくなったりする。
他の人に話したりすると、へえ〜、すごいねえ。と褒められたりもする。
だけど、これって本当にすごいのかな?って時々思う。
自慢に聞こえたらごめんなさい。
そんなんじゃなく素朴な疑問として浮かんでくるんです。
「ゾーン」という、とっても集中できる状態を表す言葉が存在しているっていうことは同時に逆の状態、つまり著しく集中力が切れた状態を表す表現も何かあるはずだ。
言葉・文章というのは、エネルギーのバランスが自然とられているものだからね。「大きい」があるから「小さい」もあるし、そのまた逆も然り。
作用・反作用の法則に従って言葉もバランスを取り合うんだと思う。
押し引きあって、全体の中のプラスマイナスを作っていく。
そんな感じだ。
であれば、ゾーンとバランスを保っているものはなんだろう・・・。言葉尻を捉えるだけだったら、周囲の音などが十分に感じ取れている状態で集中している風に装っているけど、実は集中できていない状態・・・
それってただのニート・・・サボり的な何かなんじゃないか?
そうか、「脳がニート状態 = 思考停止 = 受け身で生きている」ということか。ようやく繋がった感じがする。
何か集中しきれていないという時は、一度立ち止まって「自分が何かに囚われていないか?あるいは受け身になっていないか?」と考えてみると、活路が見えてくる。
今までを振り返ってみると、確かに、自分の意見がない時ほどうまくいかなかった。
例えば引っ越しひとつとっても、自分が思っていることを伝えられているかどうかで全然かかる費用が違ってきたりする。
実際に、身をもって苦汁を飲んだことがある人も多いのではないだろうか?
(ちなみに僕は、大学生時代にしっかり痛い目を見ました 笑)
時に凡人でも天才を殺すような力を持った、いわゆる神殺しの槍であるゾーン。でも、その裏にはちょっと危険な一面も隠されていたりして。
そう考えると少し面白く思えてきます。
ところで、言葉遊びを始めたのはいつ頃からだったっけ?明確には覚えていないんだけど、「言葉を遣うこと」に関して僕にとって心の師匠と言ってもいいほどのキーパーソンは2人。
作家の「西尾維新」さんとコピーライターとして有名な「糸井重里」さんだ。西尾維新さんの代表作の一つ「物語シリーズ」はアニメ化もしているので知っている人も多いんじゃないかと思う。
ラップのような流れるような言葉のやりとりと、ちょっとしたところに隠されている知る人ぞ知るネタにクスッとするのがたまらない。ふとした時に読み返したくなる素敵な作品だ。
もし読んだことない人がいたら読んでほしいなあ。漫画でも出ているし。
ここで魅力を語りすぎると何万文字もいきそうなので、ひとまず閑話休題。
一方、糸井さんには「Mother」をきっかけに惹き込まれた。
今では糸井さんのほぼ日株式会社を含めて作り上げられた世界観に完全にハマっている。
より真剣に言葉にこだわり始めたのは多分、Motherをクリアしてから。
どせいさんの導きだ。
こんな感じで、Newタツミの起源はゲームと小説から始まった。
終わりもゲームで締められるのかな?まだわからないけど。
ところで、起源という言葉も結構好きなんだよなあ。英語にするとオリジン。かっこいいじゃん。
今度のコラムではこの「起源」に着いても書いてみようかな。
きが向いたらね。
今日も読んでくれてありがとうございました。あなたのその一読が、僕の力になります。今回はちょっと話題を変えて2段構成みたいにしてみたけど、どうでしたか?
できるだけ長くならないように調整はしていますが、まだまだ試行錯誤。
より楽しんでもらえるように工夫し続けます。
それでは、またね!!
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