「1日10分の哲学」読み
「哲学」ってのは、正解があるような無いような、ですし、いわゆる試験で理解度を測るような、暗記主体の日本の勉強システムには、これほど向いていないなーと思うようなジャンルもないなー、なんて思いますね。
マークシートの試験だと、ほぼほぼ難しいような。
「ニコマコス倫理学の作者は誰か」とか、そういう知識を問われるような試験になるのかなぁ。しらんけど。
逆に、論文の形での出題ならできそうですね。採点するのは大変だろうけど。
かといって、このジャンルが、学問として難しいわけではないのが不思議なところで、いつどこからでも始められるし、いつどこでもやめられる、そんな気もしています。
自分の場合、学生の頃は、恩師の勧めもあって「手に職をつける」目的で、理系の大学に進学して、プログラミングを学びました。
プログラミングと言っても、昨今巷でやっているような怪しい情報商材のプログラミング塾とかではなく、いわゆる「ソフトウェア工学」をやったので、そうなると、大学なり専門学校なりに行かないといけなかったのですが、一方、文章を書いたり、哲学のようなことをやったりするのには(自分にとっては)大学で学ばなくてもできる、という感覚のところがあります。
これは、理系が難しい>文系が簡単、みたいな話がしたいのではなくて、自分の育ってきた環境が、宗教的な背景があったので、プログラミングは学校で学ばないと行けない反面、宗教や倫理などの思索は自宅でも自然にできる環境だった、ということなのかもしれません。
考えすぎて鬱病になっている気もしますが。
立ち読みで見つけた書籍ですが、個人的に当たりですね。
文章が軽妙で読みやすい。その点で、万人にオススメです。
まさしく、一つ一つの話が数ページで構成されているので、哲学難しい、という人でも、1日10分で読めます。
と言いながら、好きな人なら1日で読了でしょうね(笑)
作者の大嶋仁さんは、文章の軽妙さとは別に裏打ちされた知識の深さに圧倒されます。哲学というイメージに象徴されるような、そんなすごいことを重々しく語るわけではないのですが、でも読めばその人の知識が頭の中に網羅されているのがわかる。大嶋氏は年齢にすると、私の亡き父の年齢くらいなので、知識・経験量で勝てないのは当然としても、もし実際にあって話をする機会があったら、滅多打ちにされるんだろうなぁ、というのが、その文面でわかります。
そういう点では、これまた故人ですが、某宗教のブレーンのようなことをしていた妻の父にも似たものを感じます。この舅もすごい人だった。工学部を出ていて宗教のブレーンなんて最強じゃないですか(笑)
そんな人達を大嶋氏は思い出させてくれます。
なにせ、こういう世代の人たちは、知識の引き出しの多さが半端ない。理系とか文系とか関係ない、知識が縦横につながっている人、という印象。
大嶋氏も、哲学や人文学を専門とされていると思うのですが(最終学歴は東京大学文学部倫理学科)、理科・科学の知識も半端なく造詣が深く、エンジニアが哲学を忘れていることに危惧していたりもします。その象徴が、原爆の開発だったと(個人的に、これは倫理学の問題かな、という気もします。もっとも、日本人の方がこういう倫理には慎重で、欧米人ほど、なにか抜けてる感もあったり。)
帯にあるように、AIは人間に勝てるか、というようなことも書いています。これは私も答えのようなものを持っているのですが、AIが人間に勝つことはないと思っています。何を持って勝ち負けかわかりませんが、例えばデータを駆使するようなジャンルではAIが勝てるでしょうか、何かを新しいパラダイムを創出するジャンルでは難しいと思います。
これも非常に形而上学的な話なのですが「AIが提出してきた「価値」を人間側が認めるか否か」という話だと思うんですね。この辺、今はうまく言語化できないところもあるのですが。
この書籍自体は難しいものではなく、むしろ、自分の知識の確認であったり、そういうリトマス試験紙的な読み方ができます。大嶋氏の主張を丸々鵜呑みにするだけでなく、時たま「ん?それはこうじゃないかな?」という部分もあります。
ただこれも冒頭に書いたように「これ」という正解があるわけではないのが哲学というジャンルの面白いところなので、むしろ、疑問を持たずに読み切ってしまう方が問題じゃないかと思います。これこそは、AIにできない、人間だけができる営みの一つだと思うので。
哲学というのは、正解というのはあってないようなものでありながら、それでいてひたすら正解を追求するところもあるので。
ただ一つ、確からしいものがあるとしたら「何が正解か、問い続けることをやめないこと」が、哲学でいう解の一つなのかもしれません。