「おとなになること」 昨日と今日とは違った明日を迎える旅
もやもやと焦りが混じりあった今日。
それは、昨日と同じで、明日もたぶん大差ない。
こんな毎日が繰り返されているのは僕だけなのだろうか?
どうもそうではないらしい。
面と向かっては聞こえない。
けれど、
画面の向こうからは聞こえてくる。
少しだけでも昨日や今日と違った明日を迎えるには?
僕は、
そんなことを考えながら生きてきた。
考えて、
自分なり学んで、
そして考えて、
ふり返って、
試してみて、
またふり返る。
あのとき、
悩んでいたあの人は答えを見つけたのだろうか?
昨日や今日とは違った明日を迎えるための答え。
僕なりには答えを見つけた。
と今のところ勝手に思っている。
思うだけなら勝手だ。。。
僕が生きづらいのは
“おとな”
になれていないから。
僕の考える“おとな”のとは、
“「社会」をじょうずに使える人”。
そして、
「社会」をまだじょうずに使えない僕は、
まだまだ“こども”。
「社会」は
人間が豊かに、安全に、便利に、
生きるための「道具」だと思っている。
みんなで一緒に作り上げ、
みんなで一緒に使う「道具」。
けれど、
使うのがとっても難しい。
“おとな”にならないと難しい。
“こども”の僕には難しい、、、
それなのに、
ある程度年齢を重ねると、
「社会」を作る責任まで降ってくる。
本来なら、
「社会」をうまく使いながら、
「社会」を作り上げていくことにも貢献しなければ。
けれど、
うまく使えない僕には、
「社会」を作る責任だけがのしかかってくる。
いつしかこの世界には、
「社会」を作る作業員としての僕しかいない。
自分の人生のために生きる僕はいない。
そして僕は、
作業員としても何だかいまひとつ。
エッサ、ホッサと毎日がんばっても、
「そんなんじゃダメ!」
「もっとしっかり!!」
どうやら作業員として役立つためにも、
「社会」をうまく使う必要がありそうだ。
つまり、
“こども”の僕には無理ゲーってわけだ。
それでも、
毎日まいにち、
作業に駆り出されてエッサ、ホッサ、、、
僕は「社会」という「道具」作るためのただの道具。
「道具」に使われる道具。
言わば、
「社会」のための奴隷。
奴隷ってやっぱりつらい。
苦しい。
はやく開放されたい。
でも、
けれど、
いきなり開放されても困るんだ。
ほんとうは、、、
奴隷だから、
指示してくるご主人様がいる。
なので何とか「社会」でやっていける。
その指示なしではとても不安。
奴隷だから命令される。
その命令がないと自分で考え、
自分で決断しないといけない。
でも、
それは怖い。
自信がない。
奴隷だから居場所がある。
ご主人様にとって便利な道具。
便利だからここに居させてくれる。
でも、
やっぱり、
つらい。
苦しい。
開放されたい。
だから、
やっぱり“おとな”に成長したい。
指示がなくても「社会」を使えるようにしたい。
不安だけれども、試行錯誤しながら。
自分で考え、自分で決断をする。
怖いけれど、勇気をもって。
ご主人様のためにだけに便利に生きるのをやめる。
自分のためも生きる。
ご主人様の奴隷を卒業して助け合う友だちになればいい。
不安や恐れを乗り越えて、
勇気をもって、
そんなふうに成長できれば、
きっと奴隷から解放されるはず。
自立できるはず。
「社会」に道具として使われるのでなく、
「社会」を「道具」として使えるように成長する。
それが僕にとっての“おとな”
“おとな”になるための旅をしている。
終わりなき旅。
けれど、
自分ための大切な旅。
今日の“こども”な僕から
明日の少し“おとな”な僕へ。
僕の出した答えは今のところこんな感じ。
新しい明日を迎えるための
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