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[小説]三者三様の道

 

1. 健一 — 安定の中での葛藤


「次は東京駅〜」
けたたましい駅のホームで車掌のアナウンスが響き
このアナウンスが自分の中で条件反射で平日の出勤時に憂鬱な気持ちにしてくれる。健一は背負っていたリュックサックを自分の前に持ち変えて盾にしてぎゅうぎゅう詰めの車内に突進してスペースを作る。

健一は、毎日同じ時間に家を出て、決まった電車に乗り、無感情に仕事をこなしていく日々を続けていた。朝9時から夜の残業時間まで、エクセルとにらめっこをしながら、部下や上司との形式的なやりとりをこなす。だが、胸の奥底には、ずっと何かがくすぶっていた。若い頃、作家になりたいと思っていた夢が何度も彼の意識をよぎる。

健一は勤勉な両親に何不自由なく育てられた。幼少期から文学に触れさせてもらっていたことから読書が趣味だった健一は、大学では文学部に進学した。そんな健一は学業と並行して普通の大学生らしくサークル活動や居酒屋のアルバイトにも勤しんだ。ただそこには必ずリーダーが存在し、人前に立ち注目を浴びる。健一は文武両道の鏡のような高校生活を送ってきたが、誰かの注目を浴びることはなかった。それなりに上手くいってきた生活に飽き飽きし、この生活に一旗上げてやろうと健一は作家になる夢を持った。

しかし、健一はその夢を追わなかった。「安定した収入を捨ててまで追いかける価値があるのか?」と昔から自分に問いかけ、いつも同じ答えに落ち着く。「家族がいるし、リスクを取るわけにはいかない」。それでも、古い友人の亮の自由な旅の話を聞いた時、胸の奥にずっと眠っていた「何者かになりたい」という感情が再燃したのを覚えている。彼は、自分にはそんな冒険をする勇気がないことを痛感し、ますます自分を責めるようになった。

ある日、健一は自分の会社の昇進リストに名前が載っていないことに気づいた。10年以上働いてきた会社で、自分の評価がそこまで低いのかと驚きと失望を覚えた。机に戻り、顔を両手で覆いながら、彼は頭を抱えた。「このまま、俺はただの平凡なサラリーマンで終わるのか?」

2. 亮 — 何者かになれなかった自由の旅


亮は自由を求めていた。大学卒業後、就職はしたがすぐに辞め、バックパック一つで世界を旅する道を選んだ。最初は刺激的で、何か大きなものを見つけられると信じていたが、次第にその熱は冷めていった。旅を続けるうちに、「何者かになる」という自分の目標が遠ざかっていくように感じた。

貯金が尽き、帰国後は未来が見えない不安に襲われた。亮は健一と大輔のことを考えるたびに、自分の選択を後悔していた。「健一のように安定した仕事を続けていれば、今頃はもっと落ち着いた生活ができていたのに。大輔のように成功するには、自分には何かが足りなかったんだ」と、劣等感に苛まれた。

彼が世界中を旅した思い出は、何の形にも残らず、何者にもなれなかった自分に対する虚無感だけが残った。

3. 大輔 — 現場から成功へ、そして苦悩へ

大輔は高校時代、喧嘩に明け暮れた不良だった。しかし、現場仕事に就くと、少しずつ真面目に働き、ついには自分の会社を立ち上げ、成功を収めるまでになった。地元では「立派な社長」として尊敬されていたが、彼の心の中にはいつも虚しさがあった。

大輔は健一と亮のことを思い出すと、嫉妬を感じた。健一の安定したサラリーマン生活は、大輔が手に入れられなかった「安心」を象徴していたし、亮の自由な旅は、自分がかつて求めた「自由」を体現しているように思えた。自分の成功は決して間違いではなかったが、それでも彼は時折、昔の自由な自分を取り戻したいと思うことがあった。

ある夜、仕事のストレスから逃れるように酒を飲み、ふと「俺は成功したが、その代わりに何か大切なものを失ったのかもしれない」と呟いた。その言葉は、自分の心に深く響いた。

出会い — 交差する羨望


健一、亮、大輔の3人は、偶然にも共通の友人の結婚式で再会した。10年ぶりの再会に、彼らはそれぞれ異なる人生を歩んできたことを実感しながらも、お互いの現状に興味を持った。

式の後、居酒屋で酒を飲みながら、それぞれの人生について語り合った。

健一は、亮の自由な旅を羨ましそうに見ながら「俺にはそんな勇気はなかったよ」と苦笑いを浮かべた。亮は「でも、俺は何も掴めなかった。お前みたいに安定した生活があれば、もっと余裕を持って夢を追えたかもしれない」と悔しさをにじませた。

大輔は二人の話を聞きながら、静かにグラスを傾けた。「俺は成功したけど、それで本当に満足してるのかどうか、最近わからなくなってきた。お前たちみたいにもっと自由に生きることができたら……って思う時もある」と語った。

それぞれが相手を羨みながらも、自分の選択に満足できていないことを感じたその夜、3人は互いに羨望の視線を送り続けた。

失われたもの


その後、3人は再び日常に戻っていったが、心の中に残った虚しさは消えることがなかった。

健一は会社での仕事に追われ、ついに小説を書き上げることはなかった。何度か挑戦したものの、結局はサラリーマンとしての生活に埋もれていった。彼は「夢を追えなかった自分」に押しつぶされ、いつしか心身共に疲れ果てた。

亮は旅から戻っても目的を見失い、定職に就くこともできずに彷徨い続けた。かつての仲間たちがそれぞれの道で成功していく中、亮は自分が何者にもなれなかったことに絶望し、孤独に押しつぶされていった。

大輔は会社を成功させたが、成功の代償として自由を失った自分に耐えられなくなった。ストレスと後悔から酒に溺れ、ついには健康を害し、仕事を続けることも難しくなった。彼が築いた成功も、やがて崩れ落ちていった。

それぞれが選んだ道の先に待っていたのは、羨望と後悔、そして絶え間ない苦しみだった。彼らは何者かになりたかったが、結局誰一人として自分の望む「何者か」にはなれず、その先に待っていたのは、終わりのない孤独だった。

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