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荒井晴彦「花腐し」インタビュー 前篇・新宿区大久保──醒めない夢の向こう側

取材・文/やまだおうむ

『花腐し』2023年公開作品
〈スタッフ〉
監督・荒井晴彦/原作・松浦寿輝/脚本・荒井晴彦 中野太/撮影・川上皓市 新家子美穂/照明・佐藤宗史 川井稔/録音・深田晃/美術・原田恭明/編集・洲崎千恵子/音楽・柴田奈穂 太宰百合
〈出演〉
綾野剛 柄本佑 さとうほなみ 吉岡睦雄 川瀬陽太 MINAMO Nia マキタスポーツ 山崎ハコ 赤座美代子 奥田瑛二

制約が多かった「あちらにいる鬼」

――今回DVDとブルーレイになった「花腐し」(2023)は、脚本のみ担当されている「あちらにいる鬼」(2022・廣木隆一)とはがらりと違う内容で、とにかく驚きました。「あちらに~」は、終盤の剃髪に向けて、モデルである瀬戸内寂聴と井上光晴との関係が丁寧に練り上げられていて、感動したのですが・・・・・・。 

荒井 「あちらにいる鬼」はね、制約が多すぎて・・・・・・。 

――そうなんですか? 「花腐し」の話題に入る前に、ちょっとその辺りの事情について聞かせて下さい。 

荒井 まず、寂聴さんって、坊さんになっても井上光晴さんとヤッてるんじゃないかと俺は思っていたから、それを確認しに京都に行きたかったんですよ。

――瀬戸内寂聴本人に?

荒井 そしたら廣木から電話がかかってきて、荒井さん向きじゃないんじゃないかとプロデューサーが言ってると。どういうこと? と訊くと、寂聴さんに会わせてくれと言ったから、原作と違ったことを書くのではないかと。俺をクビにしたいんだなと思って。で、俺は、分かった、原作通り書くよと。

――原作者と必ず会ってから執筆するという、脚本家・荒井晴彦としては、異例の事態が起きたわけですね。

荒井 原作通りでも俺が書くほうが、他の奴が書くよりもマシだろうと。で、書くことになったんですけど、原作は娘さん(井上荒野)が書いているから、お母さんが主役なんだよね。お母さんの目から見た三角関係――。

――つまり、お母さんを演じた広末涼子の目から見た、妻・愛人・夫の三角関係ですね。

荒井 でも実際は主役は寺島(しのぶ)で、井上光晴は豊川(悦司)に決まっていたんだよ。だからなのか、妻役はなかなか決まらなかった。俺は、豊川じゃないだろうって言って・・・・・・。年下なんですよ。

――実際の井上光晴は、瀬戸内寂聴の四つぐらい年下でしたね。

荒井 俺は、ホリプロで作っているんだから妻夫木(聡)がいるじゃないって言ったんですよ。

――完成した映画では、男のほうが年下という関係性とは全く違うところに行っていますね。

荒井 寺島・妻夫木のほうが面白いんじゃないのって言ったんだけど、制作会社のプロデューサーがどうもトヨエツのファンらしくて・・・・・・。

――寺島しのぶは、なかなか頑張っているように感じました。

荒井 そうですね。坊主頭にしたからね。・・・・・・ただやっぱり、「日本春歌考」(1967・大島渚)を観て、出てきた二人が「満鉄小唄」を歌うシーン、いきなり海岸になるの、違和感あるなあ。67年の街並みを撮るのは大変だけど、海に行かなくたって、探せばあるだろう。10.21でバーに逃げてきた学生が寂聴にカンパもらって出て行く時、ヘルメットかぶるのもおかしい。警察から逃げてるのに目立つメットはかぶらない。豊川がセックスの時も風呂の時も眼鏡かけてるのが違和感あった。井上光晴がそうだったのだろうか?

妻が、いつも傷ついた動物を拾ってきちゃうんですよ

――それに比べて、「花腐し」は脚本段階から巧く行ったということですね。今回、読ませて頂いた決定稿、読み物として抜群に面白かったのですが、完成作品も大きく変わってはいませんでした。いっぽう「あちらにいる鬼」の脚本は、雑誌(「月刊シナリオ」2022年12月号)に掲載されたものを読みましたが、あれは準備稿で、最後のシーンも全くといっていいほど変わっていますね。

荒井 ええ、そうです、そうです。まだ当初の狙いに近かったのでね。準備稿を載せて貰ったんです。

――今回の「花腐し」は、「デッドライン 島唄よ響け、男たちの魂に」(1999・新里猛作)の中野太さんとの共作ですが、どのように進められたのでしょうか。

荒井 最初は中野が書いて・・・・・・。原作を全然使っていないというふうに言われるけど、骨格は・・・・・・。

――膨らませたという感じで、むしろ原作は全部使っていますね。 

荒井 「どうしてそんなに濡れちゃうの?」っていうところから始まって、階段を祥子が上がっていくっていうラストを踏まえていて。監督と脚本を書きたかった奴の二人が話しているっていう設定に変えたのね。最初中野が書いて・・・・・・。祥子を巡る二人の回想部分は、中野が自分のことを書いている。

――奥田瑛二演じるシナリオ作家の先生が、「映画芸術」や「月刊シナリオ」でお馴染みの“脚本家・荒井晴彦”そのままでした。

荒井 中野は、俺のシナリオ講座の受講生だった。だから、俺みたいな人間が出てくる。あとは台詞をちょっとずつ変えたり。

――ザリガニのイメージというのは、松浦寿輝の原作にはなかったですよね。あれなんかはどういうところから?

荒井 うちの妻がね、なんかいつも拾ってくるんですよ。ちょっと傷ついた鳥がいると拾ってきて飼っちゃうし。

あのアパートが見付かったので行けるかなと

――あと、今回、すごく空間の面白さっていうのがありますね。雨の切れ目っていうのは、他の映画で見たことがない。

荒井 雨の映画でもあるので。原作も雨になっているし。花を腐らせるほどの春の雨――ということから花腐し、卯の花腐しってきているんだけど、だったら雨の世界に入っていくという・・・・・・。最初からそこは小説に書いてあるんだけど、異界っていうか・・・・・・。原作が幽霊の話じゃないですか。だから、それやるには、ちょっとリアリズムじゃない世界に入っていくっていうことも必要かなと思って。「ツィゴイネルワイゼン」っていう俺の師匠(田中陽造)が書いたシナリオ(1982年に鈴木清順監督が映画化)は、鎌倉の谷戸っていうところを越えていくと異界へ入って・・・・・・。

――切り通しが異界への入り口になっている。

荒井 そこは、生きているんだか死んでいるんだかわかんない人たちの話だという設定ですよね。そういうことで、ああいう異界との境界線としての雨を降らせたんです。

――「ツィゴイネルワイゼン」だったとは気付きませんでした。あと、大きな鏡は原作にも出てきたと思うのですが、どこから見付けてきた下宿の内部なのかと思ったほど、あのアパートに不思議な味があって・・・・・・。あれは、入り口があって鏡があって・・・・・・。あの下宿はどういう構造になっているのでしょうか。

荒井 階段を上がってって・・・・・・あれ、(階段は)分かれていたっけ? 踊り場で左右に階段が分かれているんだ。

――そうですね。すごく不思議な味があります。あんな建物見たことないみたいな。

荒井 いやいや、ああいうのが欲しかった。

――あの建物はロケセットというか、見つけてきたんですか?

荒井 あれが見つかったんで、いけるかなと。昔の遊郭っていうか、そういう作りみたいな。大きな階段があって各部屋があってみたいな。もうなくなっちゃったけど、俺が30代・・・・・・ほとんどそこで仕事していた、福屋ホテルっていう旅館が中野にあったんだよね。そこが、元そういうとこ(遊郭)じゃないかな。だからそういうイメージのがほしかった。あれ西早稲田なんだけど、早稲田界隈にはああいう学生下宿がいっぱいあったよね。

――早稲田界隈で、もう少し狭いところなら見たことありますが、あそこまでどっしりした構えのところは知りません。

荒井 まだ人が住んでいるんですよ。3万円台かな。

――中の居住空間も同じ建物を使っているんですか?

荒井 いやいや、中は流石に狭いし、人も住んでいるんで・・・・・・。中は、横浜のほうの廃ビルを探してきて、そこを飾って使ったんですよ。 

――それにしても、あんな建物があるんですね、今。 

荒井 あと、高円寺に似たところがあるんだけど、そこは貸して貰えなかった。人が住んでいて。でも、玄関の佇まいからみてこれだみたいなところは、都内に高円寺と西早稲田とふたつぐらいしかなかった。

――自分は昔、かなり長いこと新大久保で働いていたんですけど、あの辺りでは全く見かけたことがない建物です。

荒井 最初はその辺で探したんだけど、ないんですよ。あっても、もっと壊れているというか。

新宿区大久保という、この世にはないどこか

――この映画は、空間の作り方が、虚構性といいますか独特の荒井監督ワールドになっているようなところがあって、現実の大久保界隈には、階段がないんだけど石段が結構あるような作りになっていたりとか、連れ込みバーではないんだけれど女の子が立っているという、どこにもない場所になっているのが面白いですね。

荒井 その辺はまあ、現在とちょっと違うけど、少し前の大久保あたりにはいたじゃないですか、コロンビアの子とか。 

――たしかに、震災の直後ぐらいまではまだちらほら立っていましたね。 

荒井 小説(の時代設定)が、2000年頃。・・・・・・今コリアンタウンみたいになっているし、だから大久保風でありながら(今の)大久保じゃなかなか(見つからない)・・・・・・その匂いはちょっと残そうかなっていうのはあったよね。あと、雨の切れ目を撮るのに、普通の平面で撮るよりは、階段で撮ったほうが特機はやりやすいのではと考えて、探していて・・・・・・。「東京人」という雑誌の特集でね、見つけて。それから階段探しをして、もう階段使うなら、荒木町行けば一杯小さな坂があるので、あそこがいいなということになったんですよね。坂を降りてって、あの階段に行くっていうことになったんです。

――荒木町まで階段を探しに足を運ばれたんですね。階段は、大久保もないように思えて、90年代の頃は一本だけあったように憶えています。私道で今は閉鎖されていますが、職安通りから大久保方面に抜ける階段が・・・・・・。それはそうと、普通の凡百の監督が撮ったら八雲公園などの公園を撮っていたのでは・・・・・・。 

荒井 公園、入れないでしょう。フェンスがあって・・・・・・。

――はい。異様なと言いますか、耐え難いような外観になっております。

今の時代、逆行しているから不安だよね

 ――もうひとつ、「花腐し」は、荒井監督が以前、「映画芸術」で面白くないと仰っていた「花束みたいな恋した」(2021・土井裕泰)への批評のようにも思いました。あの映画は、後半男女が疎遠になっていく因果関係みたいなのが全然描かれていないんです。

荒井 なんでですかね。あれって。何かしているんだけど、裏になっていますよね。知り合って三日三晩セックスしたって言っているんだけど、映せよって。映画だよ、これって。だから頭来ちゃうんだよな。

――あれだけ仲の良かった二人が何故別れちゃうのかという部分が、彼らを取り巻く人物を通して具体的に見えないので、付いて行けなくなりました。

荒井 別れるときもジャンケンして・・・・・・どっちが何持って行くって。あれ、犬だっけ猫だっけ・・・・・・。

――猫ではなかったかと思うのですが、全然印象に残らないんです。舞台の明大前駅界隈にしても、空間的に魅力が薄い。

荒井 でも、ああいうものが受けるというか・・・・・・。今の若い人はそういうさらりというかな・・・・・・そういうことになっているのかなって。で、お客さん入っているみたいだし。だから俺は不安だよね。時代に逆行しているからね。

――描いていないだけみたいな感じがしているんですけどね。坂元裕二が手を抜いているだけというような。

荒井 描くなっていう風潮があるんですよね。「福田村事件」(2023・森達也)でも言われています。虐殺に行くまでのね、村の日常をどうやるかっていったらそういうことしかないわけですよね。でも、ああいうポルノ的なシーンはいらないって。

――惚れた腫れたというか、男女のあれですね。

荒井 僕らの頃の教養っていうか、“村といえば”みたいな。それは、今村昌平さんの「にっぽん昆虫記」(1963)だったり大島(渚)さんの「飼育」(1961)だったり・・・・・・。そういうことを村の共同体っていうのかな。性的な問題をね、許容していくというかな。狭い中でみんな知っているんだけど許容しちゃうという・・・・・・。俺には、親父の弟というふうに聞かされていた叔父さんがいて、それまでずっと叔父さんだと思っていたんですよ。そしたら後年、親父のお兄さんの子供なんだと聞かされて、へぇーと。叔父さんが、自分の子供を兄弟の籍に入れていたんです。それを聞いた時、村ってそうなんだ、みたいなことを思った。そんなことは村の人たちみんな知っているだろうけど・・・・・・。東京新聞の「大波小波」では、ジェンダー的視点が欠けているって・・・・・・。おい、舞台は大正時代だよって。そこで「ジェンダー的視点」がないと批判されるって、歴史修正主義と同じだよね。そういうことはいらないシーンだとかね、そういうシーン作っているのは荒井だろうとかね、偏見と批判に曝されていますけど。

――そのあたりは、「この世界の片隅に」(2016・片渕須直)に対して荒井監督が書いた批評と一貫していますね。

荒井 うん。ハリウッド映画もそうやって修正しているみたいだけど、色々。なんかコンプライアンスとかポリコレとかそっち側だけで修正している。

――でも、そっちじゃない側を描くから逆に、支持を集めるという側面もあるんじゃないですかね。

荒井 「福田村事件」の場合、普段映画を観ないような人たちも来ているから、お客さんが入っているというのもあるけど、今村昌平も大島渚も観たことない人たちが、マジメなテーマをやっているのにエロは必要ないとか、福田村の人たちがミダラに思われるとか、そのミダラな男女が虐殺を止めさせようとしている意味が分からないと言っている。「福田村事件」が賞を取れないのはエロのシーンがあるからだって、江古田映画祭でリベラル派らしいおばさんに言われた時はアタマにきた。あんなもの、エロにも入らないって。チャタレイ裁判、サド裁判、「黒い雪」裁判、ロマンポルノ裁判、「愛のコリーダ」裁判でワイセツか芸術かで闘い、大島渚は「ワイセツ、なぜ悪い」と問い、性表現の規制・制限の撤廃に向けて闘い、性表現を広げてきたのに、いまコンプライアンス、ポリティカルコレクトネス、ジェンダー的視点で性表現はいけないことのように忌避され、まるで「逆コース」みたいだ。

後編につづく
次回は、6月29日の掲載予定です
《写真無断転載厳禁》©2023「花腐し」製作委員会

『花腐し』
 監督:荒井晴彦 
原作:松浦寿輝『花腐し』(講談社文庫)
Blu-ray&DVD好評発売中
発売・販売元:VAP
©2023「花腐し」製作委員会

<著者プロフィール>
やまだおうむ
1971年生まれ。「わくわく北朝鮮ツアー」「命を脅かす!激安メニューの恐怖」(共著・メイン執筆)「ブランド・ムック・プッチンプリン」「高校生の美術・教授資料シリーズ」(共著・メイン執筆)といった著書があり、稀にコピー・ライターとして広告文案も書く。実話ナックルズでは、食品問題、都市伝説ほか数々の特集記事を担当してきた。また、映画評やインタビューなど、映画に関する記事を毎号欠かさず執筆。

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