「悩める」という幸せ
たくさんの悩みが、人にはある。
それぞれ、他人からは見えにくく、容易に理解しがたい。
悩みは、その人の価値観や人生に直結しているからだ。
悩みというと、とかくネガティブなイメージが大きいが、
そうでもないらしい、というのが、私の最近の気づき。
気づかせてくれたその上司は、現職に悩める私に退職を勧めたその人。
「会社や仕事のことで悩んでいます」
と相談した際、返ってきた言葉が、
「悩んでも迷っても、全部自分で決めることが重要です。
それに、今の君は悩み多き自分を不幸だと思っているようですが、
悩める・迷えるということは、幸せなことなのですよ。」
だった。
彼は若いころ、インバウンドビジネスに携わっていて、その際に東南アジアの貧しい暮らしを目の当たりにしたという。そこでみた人々の暮らしは、明日の食べ物にも困るような状況で、「悩み」や「迷い」とは無縁だったそうだ。
彼が言いたかったのは、「悩む」「迷う」行為は必然的に、「選択肢」があるという意味を持つ。「選択肢」のない人は「悩めない」し「迷えない」。「悩み」「迷える」ということは、目の前にいくつも分岐があってどれが正解かわからなくても、’道’がある。その進むべき’道’を「選べる」という意味では、とても幸せなことなんだぞ、という意味だ。
それまで、休職から明けたばかりで今後の進路や処遇に大いに悩み、押しつぶされそうになっていた私は、はっとした。
私は職を失ったわけでも、路頭に迷ったわけでもないのに、今を深刻に捉えて、狭い視野の中で’次’をどうしようと悩んでいた。’次’の中には、転職やら帰省やら起業やらいろんな選択肢があるのに、どうすればいいかわからず自分を追い込んで、不幸だと思い込んでいた。
でも、私には支えてくれる家族と、励ましてくれる友人と、本音で向き合ってくれる上司がいて、そして何より、’道’が無数に拓けている。
これの一体どこが不幸なのだろう。
その’道’を歩んでみたらいいのに、なんだかんだ理由をつけて足踏みして、
他の’道’と比べてまたしり込みして、結局どうしたらいいかわからなくなっていただけで、何ら不幸ではない。
「悩んでも迷っても、全部自分で決めることが重要です。」
そうなのだ。結局は自分で自分の背中を押すしかない。
その勇気がなくて、愚痴を垂れ地団駄踏むだけでは、何も前に進まないというのに。
他の方のnoteを拝読していると、実に様々な生き方を垣間見られる。
知人の中にも、動画の配信者になったりDJになったりプロゲーマーを目指したり、いろんな人がいる。
そんななか、私は極小の世界観の中で、偏狭な視野でしか人生を捉えられていなかった。
情けないことだし、もったいないことだ。
上司の言葉で、「悩める幸せ」「迷える感謝」に気づき、同時に、自分の人生を前進させられるのは自分しかいないと確信した。
勇気、ではないのかもしれないが、前向きな力が湧いてきたように思う。
これからは自分の人生を生きる。この恵まれた環境に感謝しながら、その分周囲に恩返しできるように。