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政治の立ち位置『座標』

こんにちは。かどやです(^-^)/

私の筆名に『まつりごと』とついているので、たまには政治のことを書いてみようと思います(笑)

今日は私の読んだ本を参考にして、自分の政治についての『立ち位置』を知るきっかけとなるような『座標の付け方』を書いてみようと思います。


この座標は簡単で2つしかありません。

こちらです。


①国民と政府どちらが主なのか?

②お金持ちを良いこととするのか?


この2つです。


では解説していきます。


まず、①の『国民と政府どちらが主なのか?』ですが、これは国民が政府の意向に合わせるのか、それとも国民の意向に政府が合わせるのかということです。


例えば、前安倍政権は、政府の意向に国民が合わせる憲法改正を目指した『愛国主義』が理想でしたが、私なぞは真逆の『国民こそが国である』という考えです。


私の考えは簡単にいうと民主主義ですが、民主主義の欠点は、専門家の意見より素人意見のほうが力を持つことも多々あるので過ちも多く『政治的難易度が高い』ということです。



そして、次に②の『お金持ちを良い事とするのか?』ですが、これは努力すればするほど個人がお金持ちになれるのか?ということです。


これは私的解釈で言えば、お金持ちになろうと努力した人だけにお金が集まり、興味のなかった人は、その分お金が奪われるという結果になることでもあり、


私はそもそも『お金を得るためにする努力は人間の幸せには本来必要無いもの』との考えですので、『お金持ちを良い事としない』考えの人間です。


こちらも前政権では、私の真逆でお金持ちを良いこととしており、現在においても、むしろお金持ちしか生き残れないように社会を整備しています。


資本主義と共産主義とも捉えられ非難されることも多い項目ですね。


私と前政権は非常に大きく片寄って違うのですが、なぜそれだけ違うのかは、私は『ここ』だと思っているところがあります。


それは、『弱肉強食を良いこととしない』ところです。


前安倍政権のような『弱肉強食』を体現する価値観は、一見この世界で生き残れる可能性が高いように思われがちですが、それは仏教や哲学を勉強している私からすると問題があって、この世界で生き残っている者は実は『勝者』ではなく『適者』です。


歴史を見れば『勝者』はむしろ攻撃の的になっていることが多く、例えばパンダのように狩りが苦手で笹を食べるしかなかった弱者のほうが狼などの狩りの得意な肉食動物よりも現代に生き残っていたりするものです。


長く生きているから素晴らしいというのも言い過ぎかもしれませんが、志が少しでも続くなら、そこは弱くあっても良いのではないかと私は思います。


ただ、だからといって、私は『共産主義』や『社会主義』が良いとも思いません。

『資本主義と共産主義の良いとこ取り』

昭和の時代の『調整型の資本主義』。


私はこれで良いと思っています。


皆さんはどうでしょうか?

~まとめ~

①自分の座標は、『国と国民どちらが主か?』『お金持ちを良いこととするのか?』の2つで考える。

②民主主義の欠点は、国民全員が政治に強くなる必要があり、政治的難易度が高いこと。

③人間界は『弱肉強食』だが、自然の摂理は『適者生存』であり、そこにズレがある。

④『弱肉強食』は攻撃の的になりやすい。

⑤『資本主義』と『共産主義』の良いとこ取りという選択もある。

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