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これまでの安心感から「次の形」の安心感に向かう参加型の組織スタイル

1.トリチウムの海洋放出の話の中で出た安全と安心について

 昨日、福島第一原発のトリチウム海洋放出について、という演題で専門家の講演を伺う機会がありました。その中で印象に残った話がありました。安全と安心の違いです。安全と安心は、しばしば密接に関連しており、本などを読んでいても、「安全安心」と通しで表記されることが多くありますし、私もそのように表記したこともあります。しかしながら、中身を丁寧に見ていくと異なる概念であることを理解しました。

2.安全について ~客観的基準と管理~

 安全とは、具体的なリスクが科学的または技術的な評価に基づき最小限に抑えられている状態をいいます。この場合の安全は測定可能であり、規範、基準、または法的な要件によって評価されています。例えば、建築物の耐震基準、薬品の承認基準、食品の衛生基準などはこれに該当します。これらの基準は一般的に、専門家による科学的研究とリスク評価に基づいて定められおり、遵守が厳格に求められることになります。

3.安心について ~主観的感覚と信頼~

 一方、安心とは、個人や集団が感じる主観的な心理状態を指します。その心理状態にはどれだけの安全が担保されているかということとは必ずしも一致しません。安心感は情報の透明性、過去から経験や体験、メディアの報道、文化的な背景、個人の価値観や信念に深く影響されます。例えば、飛行機は統計上では、最も安全な交通手段の一つと言われていますが、飛行機恐怖症の人にとっては、その事実だけでは安心できるわけではありません。

4.投資商品における安全と安心
 
 投資商品を例にしてみます。投資商品はリスクを伴うものです。金融業者は、そのリスクを明確に説明し、投資者が情報に基づいた判断を下せるように努めます。例えば、安定したリターンを望む投資者には低リスクの債券を、より高いリターンを求める投資者には株式や他の高リスク商品を提案します。しかし、投資会社に対する信頼が揺らぐと、例えリスクが明示されていても、投資者は不安を感じることがあります。たとえば、金融業者が問題を起こした場合、または、不正行為の噂がある場合、これらの情報は投資判断に大きな影響を及ぼします。結局のところ、投資者は安全だとされる基準だけでは安心できなくなるわけです。

5.安全と安心の間のギャップの解消に向けて
  ~安全提供側に求められる視点~


 安全と安心の間にはしばしばギャップが存在します。技術的に高い安全基準が設けられていても、市民は必ずしも十分な安心感を得られないことがあります。客観的な安全を主張する側と、それに安心しきれない側の間に立つと、どうすればこのギャップを埋めることができるでしょうか。

(1)情報の透明性を高める
 安全基準が満たされていても、あるリスクは常に存在します。これらのリスク情報を正直かつ透明に公開することが必要です。公開された情報が信頼されれば、市民の不安は軽減され、信頼が深まります。

(2)コミュニケーションの強化
 安全基準や規制は専門的で、初めて接する市民には理解しづらいことが多いです。専門家だけでなく、一般市民も理解できるようなやりとりが必要です。これは単発のイベントでなく、継続的な情報共有や意見交換を通じて行われるべきです。

(3)教育活動
 透明な情報の提供とともに、受け手が理解しやすい説明を行うことで、市民の理解度が向上します。この教育を通じて、相互の誤解を解消し、より深い理解を促進することが、ギャップの解消に役立ちます。

(4)継続的なモニタリングと評価
 安全基準の遵守状況は、定期的に評価し、可視化する必要があります。問題が発見された場合は、その都度、適切な改善策を講じることが求められます。また、安全基準自体も、技術進化や社会の受容度を反映させるために定期的な見直しが必要です。

(5)緊急時の対応と準備
 日常の準備として、規定に従った対応が必要です。しかし、災害や事故の際には迅速かつ効果的な対応が信頼を高めます。安全対策の具体的な機能とそれらがどのように作動するかを市民に理解してもらうことも、安心感を高めるためには重要です。

「システム全体が成熟してくると、役割分担が明確にされて担当者が専門バカになりがちです。これは成熟したシステムを持つ組織の宿命で、それぞれの分野で道を究める専門家を育成するのは悪いことではないものの、全体像をもって自分がどの場所でどんな役割を演じているかという帰属意識を備えていなければ、やはり非常時の対応はできません。」

畑村洋太郎『失敗学のすすめ』

 組織が成熟化してくる中でも、役割や任務という意識を持ちマンネリ化を脱していきたいです。


6.長期的な取り組みにより対外関係者に安心頂ける組織文化、企業風土が形成されていく

 上記5は、取り組みの紹介でしたが、これらを長期的に継続することで文化が醸成されてきます。組織文化として様々なチャレンジはするものの、根底には安全への配慮があり、定期的にリスク管理を実施し、必要な改善を施すというサイクルから文化が形成されていきます。安全面に配慮がなされた組織文化が確立されることで、社員だけでなく地域社会全体の安心感も向上します。安全文化の醸成には、教育、訓練、定期的なリスク評価とフィードバックのループが不可欠です。
 また重要なのは失敗というものを表にできる仕組みも社員を救い、本人が安心することで結果として関係者にも安心していただける風土が出来上がっていきます。

「思わず隠せるほどの失敗ならば、まだそれほど大きな失敗には結びつきません。しかし問題は、隠しきれない失敗を起こしたとき、それ以上ウソをついて失敗を隠し続けるのは、絶対避けるべきです。その段階ですべてを明らかにできれば、致命的なダメージは避けられます。
 失敗はいくら何重に防止策を講じたところで必ず起こります。人の活動に失敗はつきものだからで、人が活動をやめないかぎり、人は失敗とつき合い続けていかなければなりません。とくに新しい技術を開発したり、未知の世界へ突入したときなど、失敗は当たり前のように私たちの目の前に姿を現します。むしろ、うまくいくことの方がまれだというのが、現実です。
 失敗は、一時的に私たちの心を苦しめますが、じつは発展のための大きな示唆をつねにあたえてくれます。そして、真の創造は、起こって当たり前の失敗からスタートするということを私たちは決して忘れないようにしたいものです。」

畑村洋太郎『失敗学のすすめ』

7.安心感の「次の形」に向けて~壁を取っていく。参加型組織の形態を試していく~

 安全と安心を同時に高めるためには、基準策定や遵守、モニタリングのプロセスに社外の関係者の参加も取り入れていくと効果的だろうという推察をしております。どの水準まで行うかは定まっていませんが、意思決定プロセスをお見せすること、一部で参加していただくことが受け入れられるようなオープン組織にまでなれば、自分事としての関与者が増えてきます。直接関与しているという実感が伴ってくれば、個々の決定に対する責任感や帰属意識が醸成され、結果として強い安心感につながります。
 総じて、安全と安心は、単に技術的な問題を超えた、広範な心理的、社会的要素を含んでいます。したがって、これらを同時に追求するためには、科学的アプローチと同様に、心理的および社会的関係性の構築を促進させることが不可欠です。加えて失敗ということへの捉え方も変えていくことが求められます。
 対峙する関係から共に課題を解決していくという共関係への質的な変化を遂げていくには、一方的なアプローチではなし得えません。技術や政策を活かしながら、持続的に安全と安心を両立させていきたいという当事者として認識している枠組みにおける共通の認識基盤が築かれていく中で変化が始まるというのが現在ところの認識です。

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