ポテンシャルの新たな測り方の提案(まったく科学的ではありません)
人材育成でポテンシャルを重視する傾向は、ますます高まっています。事業環境が激しく変化することで、現在の成果を出すために必要なスキルがすぐに陳腐化してしまうためです。ポテンシャルとは、現在ではなく将来の成果の可能性を指します。将来の成果にむけてポテンシャルを測り、伸ばしていくことが人材育成には強く求められています。そのあたりのことは以前こちらの記事にかいたので今回は割愛。
今日はポテンシャルを測るということに焦点を当てたいと思います。
実際にポテンシャルを測ろうということになると「何をもってポテンシャルとするのか」という測定要素の議論になりがちです。将来の成果? ということは現在の行動のコンピテンシーではなく、性格特性とか価値観とかやる気の源泉とか? だとすればやっぱりGrowth mindsetかな?みたいな話です。
しかしポテンシャル開発に取り組む中で、「何をもってポテンシャルとするか」という議論よりも大切なことがあると痛感していることがあります。それは「何を測るか」ではなく「どのように測るか」という、ポテンシャルを測定する上での前提となる考え方に関わることです。
「何をもってポテンシャルとするか」については学術的研究や科学的なツールが世の中にすでに数多く存在しているので、実務家としてわたしがポテンシャル開発に取り組む際に、これだけはやってはいけないと気をつけている点と、それらを踏まえたポテンシャル測定の新たなアプローチを今回は提案したいと思います。
あり・なしはダメ
いまだに自分がこの罠に陥ることがあるので最初に書いておくと、ポテンシャルは「あり・なし」で単純に判断すべきものではありません。ポテンシャルはあり・なしという「二択」ではなく、高い・低いという「程度」として測ります。「あの人はポテンシャルがない」と言うのは、「自分には対象者のポテンシャルを測るスキルがない」と公言しているのに等しいと考えたほうがよいでしょう。
いきなり話の核心に入りますが、ポテンシャルの高低を確実に捉えるには「『何に対する』ポテンシャルを測っているかを十分意識する」ということが大切です。ポテンシャルを将来の成果の可能性だとすると、対象者にどのような役割を期待するかにより、求められるポテンシャルは異なります。たとえば、専門職には学習意欲が問われるのに対して、経営職には変革志向が問われるようにです。
何に対するポテンシャルは高く、何に対するポテンシャルは低いのか、「何に対する」ポテンシャルを見ているのかを意識した上で、できるだけ多面的にポテンシャルを測ることが大切です。これが何を測るかよりも、どのように測るかが大切と私が感じている最大の理由です。
他者比較はダメ
「何に対する」ポテンシャルかを意識していたとしても、単純な相対比較は避けたいところです。将来の成果には様々な可能性が存在しているためです。たとえば、経営職としてのポテンシャルを見るときにも、「AさんよりもBさんのほうがポテンシャルが高い」ではなく、「Aさんは新規事業の開拓のポテンシャルが高い」「Bさんは既存事業の深掘りのポテンシャルが高い」と、各対象者のもつ将来の可能性を相対的にではなく絶対的な目線で把握することが理想です。
同様の理由で、自分で自分のポテンシャルを考えるときにも、「尊敬する〇〇さんは、わたしの年齢のときにすでに△△を実現していた」という他者比較に陥りがちですが、これも避けるべきでしょう(といいつつ、自分でよくやっていますが)。自分には将来どのような成果を実現する可能性があるのか、相対的な他者比較ではなく絶対的な目線が求められます。
絶対的な目線で何に対するポテンシャルかを意識して把握するためには、語彙力が必要です。特にヒトではなく仕事、たとえば戦略、組織体制、プロセス・システムを表す言葉を理解しておくことが大切です。たとえば、経営職に対するポテンシャルというときに、経営職とは何かを適切に理解しておくことがとても大切になります。逆に何に対するポテンシャルかを絶対的な目線で把握するための語彙力が足りないと、相対的な他者比較に陥ってしまいます、そのほうが一見わかりやすいですから、AさんよりBさんのほうがすごい、みたいな感じで。
氷山モデルはダメ
単純なあり・なしでもなく、相対的な他者比較でもないとすると、ポテンシャルをみるときに頼りたくなるのが氷山モデルです。氷山モデルとは、一人のヒトには様々な要素があり、あたかも海に浮かぶ氷山のように、見えている要素は一部分にすぎず、多くの見えていない要素が存在すると想定する考え方です。
氷山モデルは、評価を目的とした測定では大変パワフルな考え方です(わたしは多くの物事を氷山的にみるので氷山原理主義者といっても差し支えないぐらいです)。しかし、育成を目的とした測定には残念ながら適していません。一言でいえば、氷山モデルには「何に対して」が含まれていません。なぜならば、どんなに現状を詳細に分解して精緻に評価しても将来の可能性は見えないからです。As-Isを分析してもTo-Beは設定できません。
ポテンシャルの測定は、評価目的ではなく、「何に対する」ポテンシャルが明確になるように育成目的で行う、ということがとても大切です。
ポテンシャルの新しい見方の提案 - 太陽モデル
それでは「何に対する」ポテンシャルかを意識し、絶対的な目線で、評価目的の測定を行うためには、どうしたらよいのか。ここから提案する考え方は全く学術的な根拠はありません。わたしの所属している会社公式の考え方でもありません。ある意味では(というよりはいかなる意味においても)科学的ではありません。わたしの頭の中ではこういう風に理解することで比較的うまくいっています、という実務家としての一つの考え方に過ぎません。このアプローチはわたしの中で「太陽モデル」と呼んでいます。
太陽モデルはこう考えます。まずは大前提として、あらゆるヒトにはあらゆる可能性があると仮定します。あらゆる可能性を象徴するのが太陽です。次に対象者を太陽の周りのどこかに置きます。すると対象者のうしろに影ができます。この影の大きさがポテンシャルを示していると考えます。太陽に近づけるほど影は大きくなりますが、近づけすぎると熱すぎて立ち続けることができません。しかし太陽から遠ざけすぎると影は小さくなり過ぎてしまいます。太陽の周りに置いて影が確定したら、最後にその影をなくす、ポテンシャルを伸ばす方法を考えます。
対象者の立つことができる最も太陽に近い位置、言い換えれば対象者のつくる影の示すポテンシャルが最も大きくなる将来の可能性を模索することが太陽モデルのポイントです。たとえば新入社員に社長としてのポテンシャルを期待するのは無謀すぎますが、課長に部長としてのポテンシャルを期待するだけでは対象者のもつ将来の可能性を十分引き出すことはできません。
太陽モデルでは、対象者の中にあるできるだけ大きな将来の可能性を探る姿勢を持ちます。この対象者はここまでしかできないのではないかと小さなポテンシャルしか見ない姿勢で接するのと、あんなことまでできるのではないかという大きなポテンシャルを見る姿勢で接するのとでは、当然のことながら育成の結果も異なります。
それではどうすればできるだけ大きな将来の可能性を対象者に感じることができるのか。ここは試行錯誤中です。今は正直なところ直観に頼っています。対象者への願いといったほうがよいかもしれません。この点が科学的ではなく実践的と申し上げた理由です。
このアプローチが機能する理由を無理につけるとしたら「氷山だとちょっと寒々しいですが太陽だと暖かくて良いじゃないですか」ぐらいしかいえず、いかにも根拠薄弱です。まったくもって科学的アプローチではありません。しかしこれまでのところコンサルティング案件で活用できているので実践的なアプローチではあります。少なくとも「何に対する」ポテンシャルかを意識し、絶対的な目線で、評価目的の測定をするということを忘れずにいることができます。
有り難いことに太陽モデルは、その他の科学的なアプローチと排他的な関係にはありません。むしろ相互補完的だと感じています。世の中にあるポテンシャルを測定する科学的なツールも、太陽モデルのアプローチで活用することで育成対象者にとってより良い育成効果があると実感しています。
個人的には大好きなテーマなのですが、一般的にはかなり怪しい話を3000文字以上も書いてしまいました。すいません。ここまでお付き合い頂きありがとうございました!