読書記録|山本七平 『渋沢栄一 日本の経営哲学を確立した男』
読了日:2024年10月13日
今年の7月3日から、日本の紙幣が新しくなった。千円札は「近代日本医学の父」と呼ばれる北里柴三郎、5千円札は日本初の女子留学生としてアメリカへ渡り、女子高等教育の先駆者と謳われる津田梅子。そして1万円札は渋沢栄一。
聖徳太子が1万円に載っていたのはなんとなく覚えていて、この人生で長年福澤諭吉に馴染んできた私にとって、今回のことは「渋沢栄一?誰それ?ずっとユキチいいのに!(顔もなんかイヤ!)」という稚拙な感想を抱いた。それは単に自分の勉強不足によって渋沢栄一という人物を詳しく知らなかったためである。これではいけないと、渋沢栄一とはどんな人物なのかを詳しく知るために手に取ったのがこの本だ。決め手は、著者が好きな物書きのひとり、山本七平氏だからだ。山本七平氏の書籍『「空気」の研究』で強く共感を受け、それから『一下級将校の見た帝国陸軍』、『日本教の社会学』などを読んでみて、この方の考え方や視点、価値観に強い共感を持った。なので今回も、山本七平氏の本ならば間違い無いだろうと、数ある渋沢栄一本の中からこちらを選んだ。
渋沢栄一という人物は、明治維新を挟む変革期の日本に生きた人だ。そのような濃い時間帯にどのような日々を送っていたのか、気にはなるが過去に戻って見に行くこともできないので想像するのみだが、幕臣だった頃に彼はフランスに渡っている。帰国後に日本で初めて株式会社制度を取り入れた会社を設立した。これが現在の”会社組織”の先駆けである。のち、数年後にはヨーロッパ式簿記(複式簿記)をいち早く取り入れ実践を始めた。福澤諭吉も複式簿記については知識はあったが、実用まではしてないかった。よって、日本で複式簿記を”使った”のは渋沢栄一が初めてと言っていい。
明治2年、渋沢は新政府から招状を受け、最終的には大蔵省に在職する。明治6年に予算を巡って大久保利通などと対立し、大蔵省を退官した後は会社を次々と設立。その数なんと生涯で約500社!彼が「日本資本主義の父」と呼ばれる所以はここにある。現在の帝国ホテル、王子製紙、東洋紡績などの前身も彼が作った。我が街、札幌に工場を構えたサッポロビール株式会社(旧札幌麦酒会社)も彼が手がけたものだったのだ。そう聞くと一気に渋沢栄一に親しみを感じてきた。
渋沢栄一という人物の価値観や、会社経営の指針を育てたのはどうやら『論語』らしく、今回紹介する本の2/3からは殆どこの『論語』と、老荘の内容となる。渋沢栄一を理解するには『論語』をまず理解する必要があるゆえだ。渋沢栄一に限らず、彼が生きた時代は孔子、老子、荘子の哲学が流行っていたらしく、当時の人々には身近なものだったようだ。(因みに山本七平氏は老子が好きらしい)
渋沢栄一について知るつもりが、『論語』についても解説をもらえるという、言わば一粒で二度美味しい一冊。『論語』については渋沢栄一もいくつか書籍を出しているので、今度はそちらも読んでみたい。