読書記録|小室直樹 山本七平『日本教の社会学』
読了日:2024年3月2日
社会学の宮台真司氏が「極右の師匠」と表現する小室直樹氏と、代表作『「空気」の研究』で知られる元帝国陸軍将校の山本七平氏2人による『日本教の社会学』。
日本という(特に外国人から見ると理解し難い)奇妙奇天烈な国について、テーマごとに対談形式で徹底分析をしていく。本書の発端として、山本七平氏の「空気」問題を、小室直樹氏が社会学の視点から的確に整備して誰でも理解できるような形にできたら……という発想に基づく。
日本には「空気」という絶対的神的存在があって、多くの人(100%に近い)は姿さえ曖昧なその存在には何故か逆らえない。何かを決定したことを後に非難された時に、「あの時はそういう空気だった」「空気を読んだ結果だ」と自分の意思がどこにあるかわからぬ言い訳をする。ではその空気を作ったのは誰か?と問うてもそれには答えられない。これこそ、本書に出てくる「決断しない多数決」だ。つまり、相手の気持ちを察したり、相手が怒らないようにするというのが日本的多数決で、日本的民主主義(間違った民主主義)なのだ。「民主主義の基礎は多数決だ」などというが、全くとんでもない。多数決で決断を迫られる時、周りの多くがどちらの選択肢に手を挙げるか、皆周囲をキョロキョロ見渡しながら自分がどちらに合わせるべきかを見計らっているような国民性だ。読者の方々もそんな風景に見覚えがあると思う。心の中にあるのは、「自分1人だけが周囲の選択と違う方に手を挙げたらどうしよう…それだけは避けたい…」だ。
敗戦直後、「一億玉砕」からあっという間に「戦争反対!民主主義万歳!」になった日本。それすら不可思議この上ないが、民主主義の何たるかなど明確にわからずに、「軍国主義でないならそれでよし!」とその場の空気に国民は押し流された。小室氏と山本氏に言わせれば、抑も「日本は軍国主義ですらなかった」という。朝日新聞なんかが「これが軍国主義の証拠だ!」と出してくる100人斬りのネタなどが逆に軍国主義ではない証左で、これは一騎打ちの発想。更に軍隊組織というのは指揮系統にイレギュラーはなく、必ず直属上官の指示の元でしか動けない。であるのにも関わらず、組織から離れて任務でもないこと(100人斬り)をするなど、軍国主義でもなんでもないし、むしろ軍国主義ならば罰せられるレベルの話だ。(基、一本の刀で100人一気に斬るなどは不可能。刀を持ったことがある人ならわかると思うが、あの重量のものを100人分振り回し続けるのは到底無理だし、骨に当たり刃こぼれして2〜3人が精一杯と思われる。斬るのではなく刺すなら別かもしれないが…)
民主主義でもなく軍国主義でもないなら、では一体、日本という国は何主義なのか?空気絶対主義としか言いようがないと私は思う。
著者2人が「言論の自由は日本にはない」と言うように、現代においても「議論してはいけない」「意見してはいけない」といった空気が世間を覆っている。例えばつい最近のこと。2019年末に”新型コロナウイルス”が世界に旋風を巻き起こした。これについてソーシャルメディアなどにおいて個人の感想レベルで「従来の風邪と変わらぬのではないか?」と疑問を呟けば、医療従事者のようなインフルエンサーが犬笛を吹きこの発言を潰しにかかる。特例承認の新薬、mRNA核酸医薬について「データが不十分であり、接種後に亡くなっている人も多くいる。即刻中止すべきではないか」と疑問を呈しても同じような具合になり総攻撃を喰らう。まるでメディアで持て囃されているような御用聞きの医師の発言に背くことは許されないような”空気感”だ。マスク信仰を批判することも許さない人々がいる。何事も、政府や権威を持つ人間の言動に疑問を持ってはいけないようだ。
こういった現象についても小室氏と山本氏は既に見切っていて、科学者とは、
「仮に完全に証明されたと仮定しても、その命題が仮設であることには変わりない」
「現代科学で使用される実証法はすべて不完全帰納法」
「本当の科学者であれば、いかなる場合でも、自分の”仮説”であることを絶対に否定しない」
と、このようなスタンスと意識を持っているべきだと語っていた。
科学者だけではなく、科学者以外の一般の国民もただ周りの空気に合わせて自らの脳を停止させるのではなく、「それは本当に正しいのか?」と一度立ち止まって考えるという行為を怠ってはいけないと思う。
少し頭を使えば、(本人は新型コロナウイルスの予防をしてるつもりなのだろうが)飲食店に入る前はマスクをして、入った途端に外し友人や同僚と飲食しながら大声で盛り上がり、トイレに立つ時は急に無言になりマスクを装着するという謎儀式を行う…なんていうトンチンカンな行動に出ないはずだ。飲食しながら大声で話してる時点で、今まで着けていたそのマスクはもう無意味だと悟れず、自分の行動の意味の有る無しも考えずに「なんとなく周りがそうしているから」というような空気に支配されていることに未だに気づけない、日本人はそんなレベルになってしまっている。こんな姿もまさに日本教だなぁと感じる今日この頃である。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?