ねどこのなかで書く記事をおもいついて寝てしまったらきれいさっぱり…
はじめに
年をかさねてしまっているなぁとかんじること、わたしのなかでは第1にあげられるものがある。
このあいだ学習サポートでのこと。生徒たちにはなしをしていておこったできごとで。
きょうはそんなはなし。
いつも以上に
夕方になると生徒たちをまえにする。このあいだ「徳川家康」がくちをついて出てこない。われながらがくぜんとした。すでにあたまのなかによく目にする肖像の画像はうかんでいるのに。
以前ならなんでもなくでてくるありふれた人物名。このときは生徒のほうが気をきかせて「家康」とわかっているよの態度でいてくれた。
さいごまで自力で出てこなかったからすこしショック。
noteを記す
明日はnoteになにを記事に書こうかなとおもいつつ。さむい時期にはねどこをここちよくととのえずぶずぶとうずまるようにねどこにはいる。ちいさなげっ歯類かなにかがふかふかの巣材をあつめてからだのまわりをおおうようだと苦笑しつつ、ねむる。
たいていねどこでは不穏なことや心配ごとはうかべない。翌日がやすみならば朝ごはんをたべ終えておもむろに記事づくりにとりかかる。なにを題材にしようかと題名がおもいうかぶころにねてしまう。いつもねつきはいいほう。必要ないのにあらたなしごとのアイデアや、記事のなかみまでうかぶと目がさえてしまう。なかなかねつけなくなる。
きのうはどういうわけか10日ほどまえのめまいがふたたびおきた。そこでくびを左右に交互にむける体操(耳石が動いたとき用)をしてから寝ようとした。
どうやらわたしのめまいは意外なところから。耳石が本来はいらない場所へむかいおこるそうだ。からだの平衡をつかむ三半規管のほうへ耳石がはいってしまい、平衡感覚をかくらんしてしまう。その結果のめまい。
体操をつづけると
そこで体操。めまいを解消するのにやくだつとされる。あたまのなかをかきまわすみたい。ほんの数分間の行動。やりながらあすのnoteになにを書こうかかんがえつつ。おっ、このところない記事が書けそうと浮かんだ。
すでにねどこのふとんのなか。体操をやりはじめたばかりなので記事のなかみまで、あたまがはたらきはじめた。ありゃしまった。かんがえはじめるととまらなくなりそう。
「いい記事になりそうだ…」のあたりまではおぼえていて、どうやらいつもより数分だけよぶんに起きていたようだ。
よくあさに…
さてよくあさ。いつものようにわたしはPCにむかう。きょうの記事。そうそうねるまえにおもいついたんだった。
なんだっけ? あれっ思い出せない。まったく根拠もなにもなにからかんがえてその内容にいたったのか道すじすらたどれない。これではおもいだすすべがない。
逃がしたさかなはおおきいという。いやホントそうだった…はず。しかたない。
おわりに
こういう機会がふえてきた。いま聞いたことをすぐにわすれる。メモはしてもどこにメモをおいたかわすれてしまう。
年をかさねるとはこういうことか。つくづく実感。それ相応のてだてをこうじたほうがよさそうな段階にあるとおもう。